2023の抱負
2023年もよろしくお願いします。
今年は末っ子が就学するため、10年間続いた保育園生活がついに終わる。一方で、子供会の会長をお引き受けすることが決まっている。子どもや地域とも関わり方が変わりそうだ。さらに、自分の職場も4月からは新キャンパス(関内キャンパス)に移行し、授業も全て対面に。生活のさまざまな変化が起きる年女の一年。
職務上の抱負は4月の年度始まりとして、ひとまず日常生活における抱負を。
毎日身体を動かす
48歳、代謝も筋肉も落ちているので、心身の健康をまず第一に。歩くことと、毎日の筋トレアプリを続けること、ついでに食事は低脂質を心がける。90歳でも自分で家事をしていた祖母を目指したい。祖母はよく歩き、よく食べ、よく踊っていた。
ストックとして情報を書き留める
このブログもだけれど、SNSにただ情報を流していくだけでなく、貯めて/溜めていくことを心がける。もちろん論文も。ついつい、書いては流していくだけでは知識は蓄積されないし、それらを振り返って考えることも疎かになってしまうと反省している。
本を読む
読書メーターによれば、年間に読んだ冊数は以下の通り*1。2020-2021年の落ち込みはひどかった。忙しかったこともあるし、ストレスが強すぎたのか目が滑るばかりで頭に入ってこなかった。
2022年 47冊(12,055p)
2021 年 35冊(8,135p)
2020年 25冊(5,157p)
2019年 76冊(19,288p)
2018年 57冊(13,282p)
あれほど本を読んでいた自分が、ここまで読めなくなるなんて…コロナに一度かかってから、気が抜けたのか急に読めるようになってきたので、今年もたくさん読書したい。4月からは、通勤時間が激減するので、電車の中での読書は減りそうだが…。
休日に仕事を気にしない時間を作る
いつも仕事が気がかりで中途半端になるよりは、メリハリをつけて過ごしたほうがいずれも集中できるだろうと。何を今更感もあるが、これも子どもたちが成長して、手が離れる時間(=仕事時間)を確保できるようになったから言えることだとも思う*2。
正直、特にコロナ禍では子どもたちが重い足かせだと感じられたし、「仕事したいのにできない」というストレスも多かった。昨年の途中から、休日に朝からメール読むのやめて一緒に遊んだり、お菓子作りしたり散歩したりするようにしていた。仕事に戻るときに、意外にも頭スッキリ。切り替えよう。
感染予防と活動拡大のバランスを取る
とても難しいこと。自分も家族も、コロナはブースター接種済みだしインフルエンザは毎年接種している。マスク、手洗い、三密避ける。それでもかかるときはかかる。
その上で、旅行や出張、人と会ってごはんを一緒に食べるという機会をどう作っていくか。年始から友人たちと食事にでかけて*3、やはり会えて楽しいと思えた。現地での学会は、立ち話からのヒントを得ることもあるし楽しい(もちろん、オンラインで参加できる機会はありがたく、これまでは授業や仕事で諦めていた機会を得られるようになったこともあるが)。
2022年を振り返る(2)
時系列に並べてみた。
1月
子どもが保育園で濃厚接触者となり、自宅待機に。この頃は10日間待機だし、末っ子のPCR陰性までは兄弟も小学校の登校停止、親も出勤停止。私がかなりパニックになり、胃痛も頭痛もひどかった。休園明けには入れ違いで学級閉鎖。
97歳大叔父の訃報。寂しい。
2月
また子どもが保育園で濃厚接触者となり自宅待機。この頃には7日待機に変更。小学校は症状なければ登校OKと運用に変化あり。いつまた休みになるかわからない、という状況がものすごくストレスだった。
そして下旬、ついに自分もコロナ陽性に。無症状だった子が抗原陽性くっきりで、そこからの感染。幸い自分の症状はとても軽く済んだ。全員マスク&換気で、一家全滅も免れた。「あんなに気をつけたのにかかってしまった」と落ち込み、その後は後遺症をひたすら心配していた。微熱と頭痛程度だったので、家では仕事したり、子どもたちと遊んだり。
EIP95研究会で発表「報道における故人のSNS」。
科研の採否発表が早まり、2月末に。基盤C採択で一安心。科研費は途切れることなく続いている。
3月
シダキュア(舌下免疫療法)2年目、花粉症が劇的に改善。さらに、感染後のS抗体が高くなっていたので、思いきっていろいろでかけたり外食したりした。
解説の対談相手を務めさせていただいた、古田雄介さん著の新書が発売。
子どもたちのワクチン接種をするにあたって、Courseraでコースを受講してみた。
4月
教授に昇格。祖母に最後に会った。2月に逃げ切った末っ子も保育園クラスターから逃げられず感染→自宅待機。これも症状は軽く済んだ(むしろ、乳児の頃のアデノやヘルパンギーナのほうが大変だったと感じた)。ただ、濃厚接触者の待機期間が大幅に短縮されたので、小学生の子どもたちも親たちも早めに復帰できた。
Netflixで見た。ヤバすぎた…。
5月
部屋の模様替え。3回目モデルナ接種し、高熱と頭痛で文字通りぶっ倒れた。
新規科目「人工知能と社会」の準備の一環として、「きみとロボット」展へ。
END展も見に行った。出かけていって、見て、経験することは貴重だな…。
6月
私用で札幌へ。久々の北海道。自分の父方のルーツでもある。
左手の腱鞘炎のような痛みがひどくなり、仕事に差し支えてエルゴノミクスキーボードを購入するも、結局タイプしづらくて戻ってしまった。ゼミ生が筆頭著者でEIP96研究会で発表@立教大学「新型コロナワクチン接種の判断はどのように行われているのか〜情報源、話し相手、自身の経験」。
授業でも取り上げたLOVOTに、子どもたちも関心を持ったので高島屋まで体験しに行ったりしてみた。二番目の子がヘアドネーションし、タウンニュースに掲載された。取材に対して自分の言葉で答えていた。
7月
静岡大学までゼミ生たちと遠征してNIPC参加。同時にリモートでPACIS2022のTREO Talk発表。
8月
子どもたちを学童のキャンプに送り出した。ワクチン接種済だと安心感が違う。
オープンキャンパスの模擬授業やら採点やらで忙しい夏を過ごしつつも、Netflixの「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」にハマって一気に見てしまう。Duolingoで韓国語を学んでたところだったので、一部聞き取れて嬉しい。
微妙な体調不良が続いたので、血液検査した結果、更年期障害と判明。まあ、47歳だし…。即、HRT(ホルモン補充療法)を開始し、体調は一気に回復。これで歳を重ねるに当たってのQoLが保てるとよいが。
9月
EIP研究会と社会情報学会全国大会で発表。久々の東北大学へ。
死後のデータの研究については、なんとKGU_RESEARCHERSという、学長と研究のネタで対談するという企画に呼んでいただいた!好きな話ができるのは楽しいし、第三者の目でこれまでの研究の棚卸しをされるのは、新鮮な経験だった。
(でも、このとき今年でいちばん太ってたのが後悔)。
エリザベス女王が逝去され、1歳違いの祖母のことがとても気になる。プライベートでは、小学生の子どもたち(ワクチン2回接種済み)が、コロナに再感染。熱は数時間で下がる程度のごく軽症ながら、また家族全員自宅待機。少しでも体調不良があれば、自分でマスクをして隔離する習慣のためか、他の家族には広がらず。冬の頃ほど濃厚接触者の行動の制限もきつくなく、それほどのストレスなく過ごせた。
下旬からは、LOVOTがわが家にホームステイ。
10月
早々にインフルエンザワクチン接種。
秋学期に入り、新規科目が2科目で毎週が勉強、凄まじく忙しい。一方で、2年越しで執筆と修正をしていたBook Chapterが出版に向けて校了となる。やっと一息。
11月
LOVOTが去り、子どもが大泣き。ハウスダストの舌下免疫療法「ミティキュア」を開始した。毎回服用するたびにピリピリして痒い。
ゼミでは、神奈川県公園協会さんとのコラボができ、さらに2年生ゼミでは中身の濃い輪読ができた。それもあって、移動中に結構読書した。
月末に、97歳の祖母が亡くなった。
12月
祖母の葬儀。その日に4回目モデルナBA4/5を接種。2日間倒れてた。
下旬には新潟のEIP98に参加。雪が舞っていた。「デジタル遺品はどう受け止められるのか:近親者を亡くした方への調査から(2)」は、発表しながらも自分も当事者じゃないか…というなんとも言えない気持ちだった。
最後の最後に、Duolingoの60%offに惹かれて有料版にしたぜ!
ひとまず、健康に一年を過ごせたことに感謝しつつ。
今年もお世話になりました。
2022年を振り返る(1)
2022年を振り返る、自分のための備忘録のようなもの。まずは概観から。
親族が相次いで亡くなった
1月には大叔父が97歳で、8月には大叔母が80代で、11月には祖母が97歳で亡くなった一年だった。とてつもなく悲しいというより、この年令での大往生でもあり、逝ってしまったのだなあという寂しさが残っている。
大叔父は、母方の祖父の弟だった。私が覚えているのは、大阪大学の教授だった頃で、東京での学会があるとわが家(祖父母と同居だった)に泊まっていた。その度に図書券をくれ、おもしろい話をたくさんしてもらったのだ。今ならもっと話したいことがあるのに、と寂しい。大叔父への追悼記事を検索して見つけ、読んだりしている。
コロナ(オミクロン)に感染した
2月にコロナに感染した。小学生の子ども(無症状)から親と兄弟に一気に広がった。もうひとりの小学生が発熱したのをきっかけに発覚。その発熱も1日で解熱。未就学児の末っ子は感染せず。親2人も微熱程度で終わり。私はしつこい頭痛があったが・・。
それまで、かかってはいけない という思いが強すぎたのか、かかったときの精神的なショックは結構大きかった。実は大泣きした。なんでなんだ、これだけ気をつけて、いろいろなことを我慢していてもかかるのか…と泣いたが、幸い、本当にものすごく軽かったので*1やがて気持ちも落ち着いた。
感染後、驚くことに、本が読めるようになった。コロナ禍に入り、常にギリギリと緊張状態だったのか、なかなか本を読んでも頭に入らなかったのだ。それがスーッと入ってくるようになった。
S抗体検査をしてみた
コロナ感染した後、自分の3回目接種と子どもの初回接種をいつにするかを判断するためにS抗体検査をしてみた。その結果は以下の通り。子どもは大急ぎで初回接種し、私は3ヶ月後に3回目接種を受けた。なお、ウイルス変異によってS抗体=今の株への中和抗体では無くなっていることには注意が必要。
子ども(無症状・未接種) 1.1U/ml
私(2回接種) 25000U/ml以上
教授に昇格した
2022年4月付で教授に。2013年4月に専任講師で着任してから今まで、あっという間でもあった。
新規科目を担当した
学科のカリキュラム改正に伴い、「人工知能と社会」「情報発信とメディアI」「情報サービス分析」「デジタル社会とマーケティング」という4科目を新規に担当。まるで新任で着任したときのようだ…
なかでも、人工知能に関しては改めて自分も学び直す機会になったし、「おおおこれおもしろい!」というのをそのまま伝えられたところはあったと思う。全部オンラインなのはちょっとキツかった。
後者の2科目は、これまで中央大学ビジネススクールで非常勤で担当していた科目とも関連していて、そのupdateをする形で作り直し。
LOVOTと暮らした
レンタルLOVOTをさらにわが家にホームステイさせる機会があり、1ヶ月ほどLOVOTと暮らした。息子たちそれぞれの受け止め方があり、これは2023年3月の情報処理学会全国大会で、ジュニア会員の息子たちが主に発表することに。

Duolingoを続けた
255日継続。韓国語で開始し、ハングルが少し読めるようになったものの心挫けそうになって、途中で中国語に変更。大学時代は寝てばかりで全然わからなかった中国語がだいぶ読んだり聞いたりできるようになってきた!
今年読んで印象に残った本
コロナに関して擦り切れそうになった気持ちが、すーっと楽になった。今年いちばん、出会えてよかった本。
2022年12月という時期に読んで、頭にも心にも内容が入ってきた本。本との出会いにも機があるのだと感じられた。
気持ちが下向きになったとき、この2冊をパラパラと読み返している。
子ども時代の記憶の大半が失われ、それに対するケアがなされていなかったという衝撃。また、ユダヤ人らしくない名前を与えられた人たちが、本来の名前で人生を語りたがるが、資料は匿名で利用しなければならないというジレンマ。強烈な本だった。
テクノロジーがこのように使われるのかという驚き。この問題に何ができるだろうか。
もっと早く出会いたかった本だった。
祖母が亡くなった
ちょうど1ヶ月前、祖母が亡くなった。97歳だった。
早朝に母から着信があったので、そうだろうと予想していた。秋の始めにコロナに感染し(4回目接種の後だった)、回復してコロナ病棟からは出られたが、転院先で亡くなってしまった。11月30日はEIP98の予稿締切日で、まさに親類を亡くした方への調査結果をまとめているところでの訃報だった。執筆に没頭しつつも、祖父母を亡くした方のコメントには強く共感も覚えた。
横浜市は、火葬場が大変混雑しており、葬儀は6日後となった。早朝7時からの告別式はごく親しい身内のみ。最後に対面したときは、さすがに涙が出た。
真言宗の僧侶がお経を上げてくれ、お棺に花を供えているときには「まだ耳が聞こえていますよ、話しかけてください」とおっしゃった。遺体の耳が聞こえるはずないだろうと思う一方で、私自身が「おばあちゃん・・」と話しかけていた。矛盾。ここにいるはず、聞こえているはずと思うからこそ葬儀をし、話しかけ、見送るのだ。そしてその機会があるから、送り出すという気持ちで向かい合えるのだった。これが、コロナ病棟で亡くなっていたらこの機会は無かった*1。
火葬の後も、「四十九日の間は、手を合わせれば言葉が伝わります」と僧侶がおっしゃった。そうだなあと思ってしまう。いわゆる「継続する絆」を自分ごととして体感した。
生まれたときから、私が生家を出るまで、ずっと一緒に暮らしていた母方の祖母だった。祖母が50歳のときに私が生まれたので、常に若々しいひとだった。
四人兄弟の二番目、次女として生まれた祖母は、昭和の年号と同じ年齢を重ねていた。幼い頃は身体が弱く、戸籍名とは違う名前をつけてもらったという*2。じいや、ばあや、ねえやが居る家で生まれ育つも、十代は戦時中。お風呂に入れなかったことの辛さ、機銃掃射から逃げたときの話、箱根への疎開。何度も聞いた。一方で、戦時中は海軍の軍人が人気だったし、自分も海軍の人に嫁ぐことを夢見ていた話も聞いた。結局祖母は、終戦後に"元"海軍将校だった祖父(後に防衛庁勤務)と結婚した*3。

(おそらく30代の祖母)
私の最初の記憶では、祖母は"パンタロン"姿で毎日会社に通勤していた。実家の会社に勤めていたのだと後で知った。60歳になる頃には祖母は家にいた。祖母は、私の習字の先生でもあった。「勢いが大事よ」と何度も言われた。祖母の字はダイナミックで勢いがあった。始めと終わりの挨拶。礼儀作法には厳しかった。
とてもオシャレな人だった。同居する孫娘が服装に無頓着なのは耐えられなかっただろう。よく叱られたし、出かける前に呼び止められて着替えさせられたこともあった。大正生まれとしては長身の156cm。洋服のお下がりをもらったことも多々ある。
料理を教わったのも、主に祖母からだった。私が煮物に砂糖・酒ではなく、みりんを多めに入れるのは祖母の影響。今でも「いりとり」は祖母の味を引き継いでいると思う。
半世紀も歳が違うと、当然ながら価値観の違いもある。
「おさんどんは女の人の役目、でも料理は結局男の人にかなわないのよ」
「大学院は男の人が行くところ」
なんて言われたし、なんだかなーと思うこともあったけど、私の進学に反対することもなく、学位取得の折にはとても喜んでくれたのだった。
私が産後に里帰りしたときは、まだ80代だったが、洗濯してくれたり、何かと食べさせてくれたり、世話をしてもらってしまった。「おもちを食べると詰まるという話があるらしい」と話したら「そんなことあるわけないでしょう。私なんて戦後すぐに出産したけれど、栄養をとりなさいってみなさんお餅を分けてくれたものよ」と言ってくれたのだった。それからまだ10年も経ってないのだな。

2020年の1月には、孫・ひ孫たちで集まって正月を祝った。それからほどなく、新型コロナウイルス感染症の拡大で、超ハイリスクの祖母・両親がいる実家にはなかなか顔を出せなくなった。FaceTimeは、顔は見えても耳が遠くなった祖母には厳しかった。
2021年の5月には、とにかく祖母にワクチンを早く打ってもらいたくて、なかなかつながらない横浜市のWebでなんとか予約を取ったのだった。ワクチンを接種してからは、何度か会いに行き、祖母の好きな喜久家洋菓子店の「サバリン」を持っていって一緒に食べたりしたものだ。もっと会いに行けばよかったという気持ちと、万一こちらからコロナうつしていたら悔やんでも悔やみきれないという気持ちがある。
祖母に最後に会えたのは、4月。教授昇格の報告をし、「えらいわ、明子さん本当によくがんばった」と言ってもらえたのが最後の思い出なのは、よかったことかもしれない。
*1:コロナで亡くなった方の葬儀については、2023年初頭に改正される見込み。https://www.asahi.com/articles/ASQDX4FKXQDQUTFL01J.html
*2:祖母の親戚たちは、祖母をそその名前で呼んでいた
*3:祖父は2013年1月に93歳で逝去
故人のAIについて:学会発表&記事
故人が残したデータをもとに、AIやCG、VRといった技術によって故人が「復活」できるなら、どうするか? この問いに対して、2件の学会発表をし、さらに1本の記事を書いていただいた。
自分が死んだ後にどうしたいかについて聞いた調査では、約3~5%程度が自分のデータをベースとしたAIに肯定的であった*1。では、親しい人や著名人が亡くなった後はどうか。
特定の著名人を想定した上での調査では、約4〜6%がAIやVRによる復活に肯定的であったが*2、2020年〜2022年の間に近親者を亡くされた方への調査では、故人のデータをベースとしたAIに肯定的だったのは、わずか1.3%であった*3。
故人のAIについて、ジャーナリストの古田雄介さんから取材の機会をいただいた際、上記のデータをお示ししてお話ししたのだが、それが本日(9/7)、日経ビジネスで記事になった。私のデータの話だけでなく、WhateverのD.E.A.D(死後労働)の話もあり、タイトルの通り需要と課題を考えさせられるものになっている。
付記:
なお、記事中のWhateverのお二人とは、以前鼎談した記事もあります!
9月の学会発表
死後のSNSデータとの向き合い方やその活用について、9月は2つの学会にてそれぞれ発表する予定です。
これまでの研究では、「自分が死んだらどうしたいか」た主でしたが、今度は実際に近親者や著名人の死に直面したときにどうしたか・どうするかを聞いたのです。
1)身近な人の死について
「故人のデジタル遺品にどう対処したか:近親者を亡くした方への調査から」
情報処理学会DPS/EIP合同研究会で発表します。
2020年〜2021年の間に近親者を亡くされた方を対象に実施したアンケートの結果です。マクロミルに調査をお願いしました。
今回の発表はほぼ集計に留まっていますが、残されたデータとの向き合いや今後どうしたいか、大変貴重なデータが取れたと感じています。発表は9月1日(木)午後のセッション1。リモート参加予定です。
2) 著名人の死について
「著名人の死後残されたSNSにどう向き合うか」
2022年社会情報学会(SSI)学会大会で発表します。
こちらは、一般の人を対象に、楽天インサイトで実施したアンケートの結果です。著名人全般と回答者自身が想定した著名人に対して、その人の死後SNSにどう向き合ったか、そのデータをどうしたいのかを聞いたものです。こちらも、集計段階ですが、なかなか興味深い結果になりました。発表は9月3日(土)、最後のセッション「情報と社会(2)」です。現地参加予定です。
2021年振り返り
2021年の振り返り。
- シンポジウム登壇、イベント参加など研究成果の発信の機会を持てたのが嬉しかった。終わった後にやりとりができないのが、オンラインの辛いところ。一方で、今までなら出席も難しかった会でも参加できるのが便利なところ。
- DeepL*1のおかげで、英文の読み書きは格段に楽になった。だんだん、DeepLで訳されることを前提にもとの日本語文を書いたり。英文でメール書くときなどは、本当に助かった。
- オンライン授業も2年目になると、一部は省力化し、その分を中身やフォローに回せる。対面との切り替えもスムースに。
- SNSを見るのが大きなストレスに感じられるようになった。特にTwitterは常に殺伐としていて、何が炎上するかとハラハラするし、価値観や状況の違いによる分断が明確になってしまう。離れる時間を持つようになった。多分、2022年以降もSNSとは距離を持ちつつ利用していくのだろう。
- ワクチン2回接種ができて、大変ありがたかった。ワクチンに関わる全ての方々に感謝しかない。
- 初めての入院・手術。無事に終わって一安心。デルタの第5波の直前だった。
- 五苓散(漢方薬)のおかげで、低気圧による頭痛も緩和された。こんなに効くとは思わなかった。
- ワクチン2回接種してから、いろいろ出かけた。なかなか終わらないパンデミックの中でも、少しでも可能なときはいろいろな経験をしたい。美しいものを見たい。自分以上に子ども達にそんな機会を持ちたいと思っていた。
1月
1月はメンタルの調子が悪く、風呂でボロボロ涙が出てくるしメールもうまく書けないという状況。リングフィットアドベンチャーを入手して、身体を動かしていたら徐々に回復してきた。なお、この頃スーパーで黒毛和牛細切れが299円/100g。この頃は牛肉が安かった。
2月
科研の研究会で東京大学の渡邉英徳先生にご公演いただく。資料の「フロー」化は、資料同士の繋がりからリアリティがはっきり感じられる。100年前の資料は残っているが、100年後、今のコロナ禍の日常のつぶやきや写真は残っているだろうか??と問題意識を持つ。
新しいMacBookAirが届いた。MortalityのJournalに投稿したものが、Book Chapterに変更になった経緯があり、その原稿執筆に手をつける。データ分析からやり直し。今までの勉強不足を痛感しながら、回帰分析など。
シダキュア始めて数ヶ月しか経っていないが、例年と比べて花粉症の症状がおとなしい。
3月
メールの見落としが増えてしまったので、Sparkも併用してみるが、自動で処理されすぎるのもイマイチで結局Thunderbirdに戻る。原稿の執筆ではDeepLをフル活用。日本語で考えているのをそのまま文章にできるので、思考が途切れない。ある程度書いたところで翻訳文を読み直して修正。
JST-RISTEXの鳥海PJ「未成年者のネットリスクを軽減する社会システムの構築」報告シンポジウムにて、教育Gの教材を紹介。
情報処理学会の全国大会も、Zoomでパネル登壇。
卒業式はパシフィコで挙行。卒業生にも会えて一安心。
4月
学校が始まる前に県内に小旅行。ちょうど神奈川県内の感染者数も、陽性率も低い時期だった。次男が小学校に入学。
大学もオリエンテーションは対面。授業も原則対面だが、私の担当科目はオンラインもあり。
2020年にコペンハーゲンで開催されるはずだった国際会議、1年延期されてオンラインに。同じタイムゾーンでセッションがまとめられていて、出席しやすい。私は3カ国調査の結果から、何が死後のデータの扱いについての説明変数になり得るのかを発表した。発表後にZoomのチャットで多くのやりとりもできた(ここでもDeepLを使いましたとも!)。
5月
ワクチン接種予約始まる。祖母の接種枠をゲット。いよいよワクチンを打てるようになると思うと、ようやく先が見えてきた感じで嬉しかった。
授業で新型コロナに関するトピックも扱うため、Couseraで無料のコースを探して受講、そしてテスト受けて修了。オンラインコースの組み立てについても、大いに参考になった。
ただ、体調不良は続き、オンライン授業の録画で喋りすぎたのか、声がかれ、咳が出るようになってしまった。咳が出る状態では出校控えることになり、急遽対面の科目もオンラインに。
6月
5月末に東京新聞にRISTEXの教材マンガの記事を書いていただき、その反響がもの凄い。メディアの力はさすがだな・・
EIP/SITE合同研究会。担当幹事。ホルモン療法の副作用で身体がきつかった。
7月
情報通信学会次世代ネット政策研究会(NIPC)でゼミ生3年・4年が発表(Zoom)。
高大連携でマンガ教材を使ったり。
ホテルザッハ−のザッハトルテ到着。送料無料キャンペーンに乗っかった。海外にもなかなか行けないところ、DHLのメッセージでザッハトルテがどこにいるかを見るだけでも楽しかった。もちろん、生クリーム添えて食べた!

そして入院と手術。その入院中に急激に第5波がやってきた。
8月
術後ヘロヘロのところ、デルタ株に怯えつつ自宅で休み休み、成績付けや原稿書きなど。術後1週間経ってからファイザー接種。1回目も2回目も発熱。横浜市長選挙の投票は行った。第5波中は、子どもの習い事もオンラインに切り替え。
ワクチン接種後の安心感といったら…。これで少なくとも、重症化して死亡するリスクはかなり下がるというのは大きい。マスクと距離と手洗いの習慣は変えないが、その代わり行動範囲は広げられると感じた。
9月
ワクチンを2回接種して2週間経過してからは、活動を少し再開。とても久々にコンサートを聴きに行った。
https://www.kanagawa-kenminhall.com/event/detail?id=37319
小学校は分散登校。家から自分でGoogleClassroomを立ち上げて、朝の会に参加している。小1も小3もそれぞれ、いろんなことをやって友達とコミュニケーションを取っているのが見ていておもしろい。ただ、家庭学習の日は大人も時間を取られるので仕事しながらはなかなか難しい。
感染状況が落ち着いてからは、八景島シーパラダイス、金沢動物園、野毛山動物園、小田原わんぱくランドなどなどいろいろ連れ出した。身体を動かすのは、リモートワークでPCに釘付けの大人にとっても大事な機会。
〆切が早まった科研も、最初は諦めていたものの背中を押していただき、なんとか提出!
10月
対面授業も10月いっぱいはオンライン。それでも感染状況は落ち着いているし、外食も再開。嬉しかった。なお、オンラインゆえに出来たこともあり。横浜市会を初めて長時間オンライン傍聴した。
衆院選の投票は期日前に行った。
寄稿した本が発売。盛りだくさんで、読み応えがある本です。
高大連携で再びマンガ教材を活用。対面では隣のグループの討議も聞こえるのが面白い。
学園祭休みの週末は伊豆まで出かけてみた。
11月
オンラインイベント、サイエンスアゴラにてマンガ教材のセッションを持った。コメンテーターは、大学時代の同期でもある為田裕行さん。全国の中高生の皆さんも参加いただき、その模様はいくつかの媒体で記事にまとめていただいた。
本学の広報ページにまとまっているのでこちらを↓
対面でのイベント、END-BARにも参加。
11月から対面授業再開し、週4日出勤(1日は研究日)するようになったら、電車の中で本を読む時間が増えた。リモートよりも明らかに身体を動かしていて、毎日ごはんが美味しい(なので痩せない)。そんな中、ほぼ2年ぶりに友人と2人で食事。まさにマスク会食で、喋ってるときはお互いにマスクしていたけれど、とても楽しかった。週末に家族で三浦まで出かけてみたり。コロナが落ち着いている間に…。と思ったら、オミクロン変異体の話。あああ…と脱力する。
12月
科研費・基盤B「情報ネットワーク社会における『死』の再定義」のオンラインシンポジウムを開催。今年が最終年度。
情報通信学会次世代ネット政策研究会(NIPC)のリアル会合に、3年生のゼミ生達と参加。対面ならではの楽しさもあるなーと実感。
冬休みに入ってからは、また伊豆に出かけてきた。韮山の反射炉と江川邸を見学して、史料を保全して残すことについて考えたりなど。
本年も大変お世話になりました!
*1:有料版を利用中

![THE MOLE ザ・モール [DVD] THE MOLE ザ・モール [DVD]](https://m.media-amazon.com/images/I/51sTYf3MytL._SL500_.jpg)







