ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

終戦記念日に「お風呂」の話を思い出す

終戦記念日の朝。
暑い。朝干した洗濯物はとっくに乾いているし、部屋の中で仕事をしていても、エアコン無しだとすぐに汗をかく。出かける前にシャワーを浴びようかと思いながら、終戦のときにちょうど二十歳だった祖母の話を思い出す。

小学校の宿題だったと思う。おじいちゃんおばあちゃんに戦争の話を聞いてきなさい、というものだった。当時同居していた祖父母に聞いたわけだが、海軍将校だった祖父が何を話してくれたのか、実は記憶にない。話してくれなかったのかもしれない。祖母の話は、まず「お風呂に入れないことがつらかった」ではじまった。それだけでなく、疎開した話、疎開先での仕事、終戦したはずなのに機銃掃射に遭い乗っている人の顔が見えたという話なども聞いたのだが。

宿題を発表する段になると、クラスでは、食べ物が無かったという話、戦死された話など、重い話がほとんどで、「お風呂に入れなかった」という祖母のコメントを、私は紹介することができなかった。たいした悩みじゃないじゃないか、もっと重いつらい話じゃないと話せない、と黙ってしまったことを覚えている。

だが、成長するに従って、戦時中とはいっても、人が生きて暮らしていたことを考えられるようになってきた。女学生の憧れは海軍の制服だった、とか、ちょっとした楽しみを何か作ろうとしていた記録などを目にする度に、戦時中にも日常があったことを見過ごしていたことに気付いた。祖母のことに戻れば、彼女はとてもオシャレできちんとした人なのだが、そんな10代女性が、夏の最中にもお風呂に入れないことを考えると。。。やはり、つらい。それをつらいと言えない、あるいは「こんなことじゃ他の人に話せない」と思ってしまうことを怖いとも思った。

一方、祖父が戦争中のことを話すようになったのは、亡くなる数年前からだった。軍と大学、企業との共同研究があったことや、技官がプロフェッショナルであること、職業としてどのような働きがあったのかという話を聞くことができた。

特に結論はないのだが、戦時中の日常のことを、祖父母が語ってくれたことには感謝している。