ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

2021年振り返り

2021年の振り返り。

  • シンポジウム登壇、イベント参加など研究成果の発信の機会を持てたのが嬉しかった。終わった後にやりとりができないのが、オンラインの辛いところ。一方で、今までなら出席も難しかった会でも参加できるのが便利なところ。
  • DeepL*1のおかげで、英文の読み書きは格段に楽になった。だんだん、DeepLで訳されることを前提にもとの日本語文を書いたり。英文でメール書くときなどは、本当に助かった。
  • オンライン授業も2年目になると、一部は省力化し、その分を中身やフォローに回せる。対面との切り替えもスムースに。
  • SNSを見るのが大きなストレスに感じられるようになった。特にTwitterは常に殺伐としていて、何が炎上するかとハラハラするし、価値観や状況の違いによる分断が明確になってしまう。離れる時間を持つようになった。多分、2022年以降もSNSとは距離を持ちつつ利用していくのだろう。
  • ワクチン2回接種ができて、大変ありがたかった。ワクチンに関わる全ての方々に感謝しかない。
  • 初めての入院・手術。無事に終わって一安心。デルタの第5波の直前だった。
  • 五苓散(漢方薬)のおかげで、低気圧による頭痛も緩和された。こんなに効くとは思わなかった。
  • ワクチン2回接種してから、いろいろ出かけた。なかなか終わらないパンデミックの中でも、少しでも可能なときはいろいろな経験をしたい。美しいものを見たい。自分以上に子ども達にそんな機会を持ちたいと思っていた。

1月

1月はメンタルの調子が悪く、風呂でボロボロ涙が出てくるしメールもうまく書けないという状況。リングフィットアドベンチャーを入手して、身体を動かしていたら徐々に回復してきた。なお、この頃スーパーで黒毛和牛細切れが299円/100g。この頃は牛肉が安かった。

 

2月

 科研の研究会で東京大学渡邉英徳先生にご公演いただく。資料の「フロー」化は、資料同士の繋がりからリアリティがはっきり感じられる。100年前の資料は残っているが、100年後、今のコロナ禍の日常のつぶやきや写真は残っているだろうか??と問題意識を持つ。

新しいMacBookAirが届いた。MortalityのJournalに投稿したものが、Book Chapterに変更になった経緯があり、その原稿執筆に手をつける。データ分析からやり直し。今までの勉強不足を痛感しながら、回帰分析など。

シダキュア始めて数ヶ月しか経っていないが、例年と比べて花粉症の症状がおとなしい。

3月

メールの見落としが増えてしまったので、Sparkも併用してみるが、自動で処理されすぎるのもイマイチで結局Thunderbirdに戻る。原稿の執筆ではDeepLをフル活用。日本語で考えているのをそのまま文章にできるので、思考が途切れない。ある程度書いたところで翻訳文を読み直して修正。

JST-RISTEXの鳥海PJ「未成年者のネットリスクを軽減する社会システムの構築」報告シンポジウムにて、教育Gの教材を紹介。

情報処理学会の全国大会も、Zoomでパネル登壇。

卒業式はパシフィコで挙行。卒業生にも会えて一安心。

 

4月

学校が始まる前に県内に小旅行。ちょうど神奈川県内の感染者数も、陽性率も低い時期だった。次男が小学校に入学。

大学もオリエンテーションは対面。授業も原則対面だが、私の担当科目はオンラインもあり。

2020年にコペンハーゲンで開催されるはずだった国際会議、1年延期されてオンラインに。同じタイムゾーンでセッションがまとめられていて、出席しやすい。私は3カ国調査の結果から、何が死後のデータの扱いについての説明変数になり得るのかを発表した。発表後にZoomのチャットで多くのやりとりもできた(ここでもDeepLを使いましたとも!)。

 

blogit.itu.dk

 

5月

ワクチン接種予約始まる。祖母の接種枠をゲット。いよいよワクチンを打てるようになると思うと、ようやく先が見えてきた感じで嬉しかった。

授業で新型コロナに関するトピックも扱うため、Couseraで無料のコースを探して受講、そしてテスト受けて修了。オンラインコースの組み立てについても、大いに参考になった。

www.coursera.org

ただ、体調不良は続き、オンライン授業の録画で喋りすぎたのか、声がかれ、咳が出るようになってしまった。咳が出る状態では出校控えることになり、急遽対面の科目もオンラインに。

 

6月

5月末に東京新聞にRISTEXの教材マンガの記事を書いていただき、その反響がもの凄い。メディアの力はさすがだな・・

www.tokyo-np.co.jp

EIP/SITE合同研究会。担当幹事。ホルモン療法の副作用で身体がきつかった。

 

7月

情報通信学会次世代ネット政策研究会(NIPC)でゼミ生3年・4年が発表(Zoom)。

www.jsicr.jp

高大連携でマンガ教材を使ったり。

ホテルザッハ−のザッハトルテ到着。送料無料キャンペーンに乗っかった。海外にもなかなか行けないところ、DHLのメッセージでザッハトルテがどこにいるかを見るだけでも楽しかった。もちろん、生クリーム添えて食べた!

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そして入院と手術。その入院中に急激に第5波がやってきた。

8月

術後ヘロヘロのところ、デルタ株に怯えつつ自宅で休み休み、成績付けや原稿書きなど。術後1週間経ってからファイザー接種。1回目も2回目も発熱。横浜市長選挙の投票は行った。第5波中は、子どもの習い事もオンラインに切り替え。

ワクチン接種後の安心感といったら…。これで少なくとも、重症化して死亡するリスクはかなり下がるというのは大きい。マスクと距離と手洗いの習慣は変えないが、その代わり行動範囲は広げられると感じた。

9月

ワクチンを2回接種して2週間経過してからは、活動を少し再開。とても久々にコンサートを聴きに行った。

https://www.kanagawa-kenminhall.com/event/detail?id=37319

小学校は分散登校。家から自分でGoogleClassroomを立ち上げて、朝の会に参加している。小1も小3もそれぞれ、いろんなことをやって友達とコミュニケーションを取っているのが見ていておもしろい。ただ、家庭学習の日は大人も時間を取られるので仕事しながらはなかなか難しい。

感染状況が落ち着いてからは、八景島シーパラダイス金沢動物園野毛山動物園、小田原わんぱくランドなどなどいろいろ連れ出した。身体を動かすのは、リモートワークでPCに釘付けの大人にとっても大事な機会。

〆切が早まった科研も、最初は諦めていたものの背中を押していただき、なんとか提出!

10月

対面授業も10月いっぱいはオンライン。それでも感染状況は落ち着いているし、外食も再開。嬉しかった。なお、オンラインゆえに出来たこともあり。横浜市会を初めて長時間オンライン傍聴した。

衆院選の投票は期日前に行った。

寄稿した本が発売。盛りだくさんで、読み応えがある本です。

 

高大連携で再びマンガ教材を活用。対面では隣のグループの討議も聞こえるのが面白い。

学園祭休みの週末は伊豆まで出かけてみた。

 

11月

オンラインイベント、サイエンスアゴラにてマンガ教材のセッションを持った。コメンテーターは、大学時代の同期でもある為田裕行さん。全国の中高生の皆さんも参加いただき、その模様はいくつかの媒体で記事にまとめていただいた。

本学の広報ページにまとまっているのでこちらを↓

univ.kanto-gakuin.ac.jp

 

対面でのイベント、END-BARにも参加。

hite-media.jp

11月から対面授業再開し、週4日出勤(1日は研究日)するようになったら、電車の中で本を読む時間が増えた。リモートよりも明らかに身体を動かしていて、毎日ごはんが美味しい(なので痩せない)。そんな中、ほぼ2年ぶりに友人と2人で食事。まさにマスク会食で、喋ってるときはお互いにマスクしていたけれど、とても楽しかった。週末に家族で三浦まで出かけてみたり。コロナが落ち着いている間に…。と思ったら、オミクロン変異体の話。あああ…と脱力する。

 

12月

科研費・基盤B「情報ネットワーク社会における『死』の再定義」のオンラインシンポジウムを開催。今年が最終年度。

情報通信学会次世代ネット政策研究会(NIPC)のリアル会合に、3年生のゼミ生達と参加。対面ならではの楽しさもあるなーと実感。

冬休みに入ってからは、また伊豆に出かけてきた。韮山反射炉と江川邸を見学して、史料を保全して残すことについて考えたりなど。

 

 

本年も大変お世話になりました!

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:有料版を利用中

新聞掲載(9/29日本経済新聞・夕刊)

9月29日の日本経済新聞・夕刊 5面「やりくり一家のマネーダイニング」にて「終活の基礎(下)デジタル遺品」の記事内で、コメントが紹介されました。顔写真つきでした…。

 

デジタル遺品の中でも、特にSNSは注意が必要だということをお話しました。遺族がログインしたら、ダイレクトメッセージのやりとりや、自分が閲覧できる「生きている人の」鍵アカウントの中身も見えてしまう可能性があります。

 

なお、この記事掲載、SNSのダイレクトメッセージで大学時代の友人が教えてくれました!

ワクチン2回接種を終えて

 

横浜市の個別接種でファイザーのコミナティ筋注、2回目をすませて1週間以上が経った。
 

接種まで

 
5月。祖母のワクチン予約を手伝ったときの印象から、横浜市でワクチン予約は難しいのではないか、秋に打てればよい方か…などと考えていた。
 
6月。定期的に受診している主治医(総合病院なのでワクチン接種なし)に接種について確認すると、予診の医師がOKなら「グループ3」で打ってよいとのこと。職域接種が周囲で動き出し、1件可能性もあったのだけれど、手術前には打てないため*1見送る。気持ちばかりが焦っていた。
 
7月。術前検査時に「術後1週間で接種OK」と確認できた。横浜市から40代接種券受け取ったその日に、そのまま封筒持ってかかりつけ医で予約。グループ3該当だしすぐ打っとうかいつ予約する?という話になりかけたものの、手術のため先送り。この時点では、8月のワクチン入荷は未定と言われたので、キャンセルになるかと不安だった。
そのため、横浜市の予約サイトから、念のためにもう1件予約を確保*2。接種施設を日付で検索すると、いくつも候補が表示された。少なくとも、優先接種の間は横浜市は予約は取れる状況だったと思う。
 

 

ただ、この間、SNSで目にする「打ちました」がとても辛く感じられた。デルタ株への恐怖から、気持ちばかりが焦る状況。取り残された感がハンパなかった。FBとTwitterの利用時間を制限した。
 

1回目

接種後2時間で37度程度の微熱、と思いきや夜は38度まで発熱。チリチリするような熱。1回目は熱が出ないと思い込んで油断していた。まだ手術後10日程度、やたらとおなかがすいた。腕の痛みも早く消えたし、倦怠感といってもたいしたことなかった。

 

2回目

接種後4時間くらいで頭痛と微熱。実はFITの座長(オンライン)をしていて、その最中に頭痛が出始めたので焦っていた。
 
スマホに残したメモを元にグラフを作ってみた。
折れ線グラフは体温。オレンジが2回目で青が1回目。
その他の症状は、1〜5段階で評価し、積み上げの面グラフにした。つまり、全てMAXなら15になる。
 
熱のピークは接種日(おおよそ12時間後)なのは1回目と同じだが、むしろ1回目より低かった。ただ、解熱したのは2日目の朝だった。
 
症状が強く出たのは2日め。グラフにすると面白いほど傾向が見える。
腕の痛みはかなり強いのが続いていた。頭痛は、右耳の痛みも伴うもので、薬なしでは耐えられずロキソニンを3度服用。2日目の倦怠感もなかなかのもので、身体が重く、ステロイド減薬中の怠さを思い出す程だった。
 
グラフには書いてないが、食欲も落ちた。1回目接種のときはおなかすいたし美味しくいただけたが、接種日の夕食、翌日の朝食〜昼食は食べるのがやっとだった。
 
 

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主に2回目の副反応(40代・女性)

ありがたい

mRNAワクチンを2度接種することができて、もう感謝しかない。横浜市は個別接種が半分を占めているので、かかりつけ医があると取りやすいのかもしれない。

どこに住んでいるか、どこに勤めているかでまったく状況が違うものなのだな、とワクチン接種に関しては強く感じた。グループ3(基礎疾患)の優先順位はなんだったのか、と思ったこともあった。早く接種したい、と思いつつ、自分が打ってよいのだろうかとも葛藤した。自治体の順番通りに打ったので、これでよかったと思いたいが・・。

 

Twitterでは批判もあったけれど、小野先生の記事は、考えながら何度も読み直してしまった。

news.yahoo.co.jp 

早く、希望する人が皆打てますように。

 

 

 

*1:2回接種+2週間経っている必要があった

*2:かかりつけでワクチンが確保されたと分かったらすぐリリースした

入院・手術と裏アカウント

先月下旬、とある良性疾患のために手術を受けた。このブログを書いている時点で、神奈川県では延期すべき手術に入っており、ギリギリの時期だったと思う。術後、半月以上経ったので少し記録を残しておく。

 

入院まで〜裏アカウント作成

手術が決まったのは5月の時点。それまで「ワクチン接種できてからがいいです」と申し上げてたのだが、「秋になるかもしれないし、その頃コロナがどうなってるか分からない。受けられるときに早く手術した方がよい」と言われ、授業への影響を考えて7月に設定した。その頃は、横浜市で高齢者のワクチン接種予約に四苦八苦してた頃でもあったし自分の接種はずっと先だろうとは思っていた。

6月中に、術前術後のワクチン接種について聞いたところ、「術前ならば2回接種後2週間空ける。術後なら2週間〜1ヶ月空ける」という説明だった。なお、接種については、7月には「術後1週間でOK」に変更になった。

 

入院の準備は、出張準備に似ていた。

2020年以降、出張ゼロだったので自分だけが外泊するのが久しぶりすぎた。術後の経過によって何があれば便利かを検索しまくったが、やや古い経験談のブログは見つかるものの、直近のものは意外に見つからない。みんなブログ書かなくなっちゃったし!(自分もだが…)

数少ないブログから、同じ手術を受ける人を探し出して呼んだり、Facebookの公開投稿で検索したり、Twitterで検索したり。

ついには、Twitterで裏アカウントを作成して*1、キーワードにひっかかった人を片っ端からフォローした。面白いことに、入院・手術のためのアカウントを作っている人は少なくなく、普段のアカウントとは切り離し、そのトピックだけをツイートされていた。(自分もだが…)やがて、同じ時期や、なんと同じ日に手術を受ける人とつながり、入院準備に向けて毎日お互いにリプライを飛ばし合う日々が続いた。持ち物についても、ちょっとした相談やモノの紹介ができて助かった。

 

入院〜手術

ここからは、同じような状況で検索した誰かに届くように。

<入院時>
  • 病室に入室後、抗原検査とPCR検査があった(いずれも鼻)*2。陰性結果が出るまで、入院のリングは巻かれないが、採血や書類のサインは病室内で先にやっていた。結構時間が経ってから「あ、陰性でしたのでリング巻きますねー」と。待っている間は、無いとは思っていてもやはり気になって昼食も入らず。
  • 前日は特にやることなく、手持ち無沙汰。かといって採点仕事も持ち込めず、久々に本を読んだりオリンピック中継を見たりしていた。
<手術〜直後>
  • 前夜から禁食、朝からは水も不可。
  • 手術の間、家族は病室で待機。
  • 術着に着替えて、歩いて手術室に行く。新しい手術室は壁に大きなモニターがあり、自分のバイタル情報が表示される。すごいなあ。どの麻酔で落ちたのかすら記憶無し。
  • 呼ばれて目覚めると、吐き気と不快感。ベッドのまま病室に戻るが、ベッドサイドにかけてもらったバッグのスマホを手に取ることもできない。身動きが取れない。
  • 「痛み止めを追加できるが、吐き気も起こる」と言われて、試しに追加したら吐き気の方が強くて痛みをガマンすることにした。
  • 点滴、カテーテル、酸素カニューレ、心電図と管だらけ。酸素はすぐ外された。
  • 腹腔鏡手術で二酸化炭素ガスを体内に入れるため、全身がげっぷ前の胃のように膨満感あり。
  • 術後の夜は、痛みと吐き気と不快さ+寝返り打てないので、うとうとするのみ。寝かけた頃に看護師さんがやってきて血圧と検温とお腹の様子見で起きる繰り返し。暑くて暑くて、エアコンの設定を下限まで下げてもらった。
  • 思ったより喉が渇かず、水が欲しいとは思わなかった。水分・電解質・糖分補給の点滴のおかげか。
  • 事前にSNSやブログで「術後がいちばん辛いが、その後どんどん楽になる」と読んでいたのでそれを思い出しつつ、もうこんな思いをしたくないので健康に気をつけようとひたすら思う。
<翌日〜退院>
  • 翌朝、腸が動いているのを確認してから、点滴だけになって身動き取れるようになった。腕の力でなんとか起き上がり、点滴の棒に捕まって数歩歩く。ここから一気に回復を実感。痛みは飲み薬で抑えられた。
  • 歩く度に身体からガスが抜けて不快感が減る。かといって、ぐるぐる歩いていると、ぶつっと電池切れのように疲れる。
  • 手術翌日の食事は昼食からだが、殆どとれず。吐き気が続く。翌々日になってようやく食べられるようになった。
  • 手術翌日は、スマートフォンを手にとり、子どもからのメッセージを読むだけでとても疲れて返事も書けない。普段、SNSを見ているだけでも相当にエネルギー使ってたんだなあと思い知る。翌々日から少しずつ返事を書いたりするも、画面を見るだけで疲れる。
  • 本を読むのは疲れずにできたので、持ち込んだ本を読みながら過ごした。紙に印刷された文字の方が楽に頭に入ってきたし、疲れなかった。
  • シャワーを浴びるだけでどっと疲れた。
  • 術後3日目で退院。短いと思ったけど、この頃には歩けるし、問題なし。
<その他>
  • 緊急連絡先に家族らの名前を書いておくのだが、戸籍上の配偶者なのかとか、その名前が戸籍姓か旧姓かということのツッコミはなく、書いた相手に書いたとおりの名前で連絡をしてくれた。
  • この状況での入院ということで、個室にした。人が来ないときはノーマスク、誰か来たらマスクをつけていたが、術後あわててマスクしようとしていたら「そのままで大丈夫」とのこと。医療従事者の皆さんが、ワクチン接種済みだからか?
  • 画面を見て読むだけでも体力使う。書くと疲れ果てる。これが退院後も暫く続いた。
  • 同じ日に手術だった人たちと、Twitterでリアルタイムにやりとりできたのは、とても支えられた。朝イチの人に「いってらっしゃい」とか、先に回復した人がいたわりの言葉を書けるとか。まるで大部屋にいるような感覚だった。
  • 病院の食事はとても美味しかった!牛乳はタカナシ!

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    病院食のタカナシ牛乳

 

*1:既に削除済み。

*2:あまりにも鼻PCRが恐怖すぎて怯えまくっていたら、そーーーっとやってくれました

2020をふりかえって

どうにか暮らすので精一杯で終わってしまった2020年。

・研究はやっと、どうにか、細々と。それでも続けることを優先しつつ。

・オンライン授業。授業形態は誰もがどのような環境でも受けられるようにし、内容はコロナや時事問題を取り入れた。インフォデミックのワクチンになりますように。

 ・こんな年に教務委員。いろいろなフローを見直せた契機にもなった。

・髪がだいぶ伸びた。体重は夏まではキープしてたけれど、秋から晩酌するようになってやや増加。

・筋肉体操DVDやSwitchのFitBoxingで運動継続。肩こりは相当軽減した。

・子どもがいるから大変なことも多かったが、子どもに気づかされたことも多かった。

・2月以降、同居家族以外と一切食事を一緒にしていない。

・リフレッシュすることがいかに大事か、不要不急と言われていた楽しみは生きる上では必要なものだと痛感した。1回のみだったが旅行は行けてよかった。

・ちょこちょこゲームやるようになった。スマホゲームや、今更ながらAoE、Switchで塊魂等・・

 

1月

研究ミーティング数回、センター試験監督など。朝日新聞にデジタル遺品の取材を受けた記事が載った。長男がインフルエンザで発熱(予防接種済み)日の夜、デジタル・フォレンジック研究会。「子どもがインフルエンザになったので・・」とマスクをしたまま講演をした。情報処理学会論文誌(ジャーナル)の採録決定で一安心。ラトビア開催の国際会議もaccepted。

 

2月

上の子のインフルエンザ罹患と、学級閉鎖がほぼ重なった。発熱と同時に部屋を分けていたので、他の家族は罹患せず。

2月上旬は、ラトビア行きはフィンエアーか、LOTポーランド航空か、なんて迷っていた。乗り継ぎ行けそうだしとLOTを予約。大学ではポスター形式の卒論発表会を初開催。AI美空ひばりに関するワークショップで東京大学へ行ったのが、対面で参加する「密」な研究ミーティングとして最初で最後になった。

 

2月下旬時点では、国際会議のキャンセル連絡はなく、学内でも「不要不急の海外渡航はできるだけ避けるように」だったでの悩んでた。一方、情報処理学会の全国大会は、現地開催中止の決定。卒業式も中止。次々と予定がキャンセルになり、さらには青野慶久さんの夫婦別姓裁判は高裁で敗訴となった。ショック。

 
紙製品が入手しづらくなっていった。Amazon定期便で買っていたマスクは、とうに届かなくなっていた。毎月買っていたために、少しの予備はあったものの・・。

 

 

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3月

一斉休校、父母が働いている低学年の子は、小学校で「緊急預かり」として受け入れてくれることになった。これが思いのほかよい時間だったそうで、好きな本を読めたり、持ち込んだ教材をやっていると先生が教えてくれたり。学校のPCも使わせてくれたのでViscuitでプログラミングしてクラウドにセーブし、自宅で続きをやることも。学童は子どもがどうしても多くなるので、小学校の預かり時間内でどうにか仕事を夫婦で調整。この頃はまだ、会議は対面だった。

ラトビア出張は早々にキャンセル。5月予定だったカンファレンスも延期に。自分も科研の研究会は、ゲスト講師に古田雄介さんをお迎えし、関内メディアセンターを使いつつ初のZoom開催。

ソレイユの丘に子ども達を連れていった。この頃はまだ、マスク必須ではなかった。

卒業式が中止になったため、教室で卒業証書授与。

3月の三連休で少し「もう大丈夫?」という雰囲気はあったものの、すぐに緊急事態か??という呼びかけで、スーパーの食品も品切れが目立った。

エビカニクスと筋肉体操をして運動不足対策。筋肉体操は全身バキバキに筋肉痛になった。通っていたジムは退会した。

 

 4月

緊急事態宣言。小学校は休校。保育園も強い登園自粛。在宅での仕事は時間が足りないが、睡眠削ると体調崩すので本当にキツイ。Zoomの鼎談に1件応じた。

そんな中、情報処理学会の論文誌(ジャーナル)と学会誌に同時掲載。嬉しかった。

http://id.nii.ac.jp/1001/00204253/
死後のデータを残すか消すか?:追悼とプライバシに関する一考察
折田 明子, 湯淺 墾道
情報処理学会論文, Vol.61, No.4, pp.1023-1029 (2020-04-15)

 

http://id.nii.ac.jp/1001/00204296/
亡くなった人とのVR「再会」をめぐって
折田 明子
情報処理, Vol.61, No.5, pp.434-436 (2020-04-15)

 この頃、新聞の折り込み広告が殆どなくなった。外に出ても人は少なく、店も開いていない。日々公園だけはでかけたが、休日!という感じもせず、気持ちは落ち込む。小2の息子が

「おれはサンタにコロナのワクチンをお願いしたんだ。絶対来るよ」

と言っていたのがこの頃。そんな、1年も経たずに出来るわけないよと思いつつ

「そうだね、そうなるといいね」

と答えていた。

5月

四苦八苦しながらSITE登壇の予稿を書く。時間が捻出できない上に、疲れ果てて考えるということが絶望的にできなくて苦しい。模擬授業撮影で出講。それ以外はほぼ自宅で仕事。オリエンテーション期間中の対応しつつ子ども達の対応をしつつ。プロジェクタにPCをつなぎ、Amazonプライムの映画を再生して「おうち映画館」をたまにやって、親の仕事時間を確保。

緊急事態宣言解除のタイミングで、社会活動再開直前ならばリスク低いだろうと、95歳の祖母と両親が暮らす実家へ。庭先で少しだけ会ってきた。

6月

小学校再開、保育園の自粛も緩和されて一安心。習い事も再開され、マスク着用や検温、消毒といったルールが掲示された。八景島シーパラダイスが空いているタイミングで子ども達を連れていった。本当に人がいない。

この頃はSITE-EIP研究会でパネル登壇(Zoom)。オンライン授業は、オンデマンド型から一部Zoomを取り入れ始めた。受講側の環境は様々。オンラインでずっと準備していた、合同ゼミでもあるNIPCをZoomで開催。折田ゼミは4年生が参加。

www.jsicr.jp

Zoomをヘッドフォンで使っていたら閉塞感が苦しくなり、スピーカーとマイク外付けにし環境を整えた。

COCOAをインストール。

 

7月

中央大学ビジネススクールの非常勤授業開始。Zoomで顔出し必須。本務先の授業もZoomを基本としてそれを録画したものをオンデマンド受講できるようにした。延期していた運転免許の更新を済ませた。仕事量はそこそこあるけれど、小学校&保育園があるとその時間は仕事だけに集中できて本当に助かった。それでも、預かり時間はコロナ以前よりもずっと短くしていたが。

 

4月に鼎談した記事掲載。

boundbaw.com

boundbaw.com

8月

オープンキャンパスはオンラインに。授業は続いているし、子ども達を遠出させるのも難しい。「おうち縁日」をしたり、ベランダでプールをしたり。猛暑と強い日差しの中、紫外線対策を普段以上に徹底。うっかり熱出したら出かけることもできない・・。

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そして、Switchの当選を譲っていただいてゲット!さっそくFit Boxingをはじめて汗だくに。ダイエット効果は不明だが、肩こりは劇的に解消。頭痛も減った。

情報化社会のニューノーマル:2.教育のオンライン化 ~実施してみて分かったこと~
情報処理, Vol.61, No.8, pp.933-939 (2020-08-15)
にて「学びの場の拡大で起きたこと」を書いたのが掲載。朝日新聞の記事にもコメント掲載、さらに弁護士ドットコムにも記事を掲載していただいた。
9月

ようやく科研の研究会開催。ゲスト講師は岡本正先生。  ここから、故人の情報を「残す」ことについて考え始める。そしてあっというまに秋学期。混雑と三密と紫外線と熱中症を避けるのが難しくて、UVセンサを購入。

自家用車で県内に一泊旅行。これが2020年唯一の宿泊旅行。

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10月

7月に予定されていた筑波大学の授業をZoomで。マンガ討議もZoomでなんとか。科研研究会では岡本真さんがゲスト。アーカイブの観点から故人の情報について考えた。小学校の運動会は、学年別に1時間のみの参観。それでも、できてよかった。

かかりつけ医で家族全員インフルエンザ接種。早めの予約でどうにかできた。スポンジボブゲームにハマり始める。

 

11月

二酸化炭素モニターを購入。いろいろ測ってると、換気されている・されていない場所がみえてくる。UVセンサー、二酸化炭素モニター、そしてスマホCOCOAと重装備で出かけるようになった・・。スギ花粉のアレルギーで2月〜3月はひどかったので、舌下免疫療法を開始。

 

学期中の対面授業を1回やったのも11月。二酸化炭素モニター持ち込み、換気しっかりやって(寒い)、さらにZoomと同時配信しつつ録画をオンデマンド提供。黒い画面に話し続けるより、対面で人に向かって話す方がずっと話しやすいのは確かなんだ・・。

 

Zoomでいろいろなシンポジウムを聴講。出かけずに聞けるのは、時間的には大変有り難い。

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12月

セミナーを聴講したり、情報通信学会で討論者をしたり。少しずつ研究活動を継続。冬のNIPCに2年・3年ゼミのチームが参加。アンケート調査や分析など、オンラインでよくがんばった。

www.jsicr.jp

横須賀市教育委員会主催の講演会(対面!)で講演したり、Zoomでの講演の機会をいただいたり。最後は研究会発表の申込みをして、どうにかアウトプットへの道筋をつけた。

ワクチンのニュースに、息子が「ほら、おれが頼んだ通りでしょ」と。

 

来年が、今年よりも希望の見える一年になりますように。

 

 

 

 

 

 

緊急事態宣言の頃の記録(4月〜5月)

書き残して置こうと思いながらも、あっという間に時間が経って2020年が終わりそうになっている。忘れる前に4月〜5月の記録をしておこう。

 

4月

4月1日。年度は替わったものの、いつ緊急事態宣言が出るのかどうかという雰囲気で、4月に再開すると言っていた横浜市の小学校も、再開延期し始業式の後に20日まで休校というアナウンスが4月3日には出た。小2の長男は、とても怒っていた。「ただ学校に行きたいのに、いきなり休みになってずっとなのか!」と。小学校での緊急受け入れは継続とのことで、週2〜3日は学校に行ってもらうことにした。
8日からはネットで小学校の授業動画配信もあった。一方的に配信されるだけだが、子どもは動画に「おはようございます!」と話しかけたりしていた。双方向ならよいのにと思いつつ・・。

マスクもアルコールもどこにも売っていない。子ども達から「マスクほしい」と言われて、ミシンを引っ張り出して、YouTubeでやり方の動画を検索し、ミニタオルやハンカチでマスクを縫った。この頃、ゴム紐も手に入らず、ストッキングを切ってギュッと引っ張ったものを代用にした。耳が痛くならないらしい。

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手縫いのマスク

先が見えず気持ちは落ち込むが、桜は満開。4日(土)は川沿いに桜を見に出かけてきた。SNSを見過ぎると自分のメンタルへの影響がよくないと判断し、スマホでの閲覧は30分の制限をかけた。

 

4月7日(火)、緊急事態宣言。翌日から横浜駅西口・東口の地下街はクローズと書かれていて、なぜか駆け込みでTopsのケーキを買ってしまった。翌8日(水)は保育園に預けて出勤したが、電車はガラガラ。この時点では横浜市では、保育園にも登園自粛の話は出ていなかったが、翌9日からは「保護者が在宅勤務の方」は保育園の利用を控えるようにと貼り紙が出た。この時点では、週2〜4日で登園予定を申請していた。在宅勤務ではあったものの、夫婦交代で3人見ながらの仕事には限界があった。市は原則開園としていたものの、横浜私立保育園園長会からも強い登園自粛のメッセージが出されて、登園はかなり難しくなった。

年度替わりで教務委員になり、しかも急遽オンラインで授業を進めることに加えて、新入生のケアをどうするか。公式LINEの設置や、ガイダンス動画の制作など仕事は山積みだった。新入生の履修パターンをいくつも想定して動画を作る。子どもが寝静まった夜にやるしかなかった。ガイダンス動画を完成させたのは、4月21日だったようだ。

 

仕事は集中しないとできないし、子ども達は不要不急で親に話しかけてくるし、こちらは集中どころではない。親同士は会議が重ならないように調整しつつも、それでも会議中の親の方に行こうとする子どもに「仕事をじゃまするんじゃない!!」と叱りつけてしまう。これでは子どものメンタルも削れていくのは分かるが、もうどうにもならない。いつか子を殴る蹴るという事態になってしまうんではないかと怖かった。親子が離れる時間も取れない。親も子も、息抜きができない。
 

4月中旬、飲食店のテイクアウトがどんどん増えてきたし、昼は外を歩いて買いに行くようになった。横浜駅は人が殆どいなかった。近隣のスーパーはチラシを廃止。麺類は米は「一家族○個まで」と制限つき。まいばすけっとはどこに行っても、紙類が不足していた。大変有り難いことにマスクが手に入ったので、保育園にいくらか寄付をした。保育士の皆さんは、自分で調達するしかなかったとのこと。自分は、サージカルマスクを一度使ったら軽く洗って干して、数回使っていた。布マスクは子どもが使っていた。とにかくマスクはどこにも売っていなかった。

 

4月22日、横浜市から強い登園自粛が要請された。まったく登園不可となると、本当に仕事もままならない。子どもが家にいる間は、午前中は少し勉強などをやらせ、昼前に空いた公園に連れて行き、戻って昼食、午後は動画やゲームなど好きに過ごさせつつ親は仕事という形だった。切羽詰まって保育園に相談したところ、週2日は登園OKとしてくれ、本当に本当に救われた。福祉機関としての有り難さが身にしみた。親子が離れる時間を持てたことが、なにより大きかった。
登園している子は、普段の1/3程度。皆が少しずつなんとか支えてもらっていたのだろう。それでも、この時期は仕事もきつくて休職したいと思い、夜仕事をしていると涙がボロボロとこぼれてきていた。

これを踏まえ、登園自粛をお願いする期間について、保育の対象とする方の保護者の職業 要件について、具体的にお示しいたします。なお、お示しする職業に当てはまらない場合な どで、真に保育が必要である場合については、個別に各園にご相談ください。

 

園児の両親がともに下記職業要件に該当するなど、ご家庭での保育が困難な状況にある場合。

※上記の職業要件に該当されている方についても、どうしても必要な日のみや時間短縮など 必要最小限のご利用にしていただきますようお願いします。

1医療関係従事者(医師、看護師、薬剤師、保健師等)

2ライフラインを支える職の従事者(公共交通機関、水道、ガス、電気等)

3福祉施設等の従事者(高齢者施設、障害者施設、保育所等)

4生活必需物資販売施設等の従事者(卸売市場、食料品売場、コンビニエンスストア等)

5その他社会生活を維持する上で必要な施設等の従事者(警察、消防、その他行政サービス、金融機関、運送関係等)

横浜市からの配布資料より)

 

一方で、子どもに気づかされることも多かった。4月下旬からは、上の子の習い事がオンラインになった。授業のやり方は大いに参考になる。また、ニュースを見ていると、二番目の子が「新型コロナで何人治ったの?何人死んじゃったの?あと何人治って何人死んだら、コロナ終わるの?」と聞いてくる。そうか、治った人の数も重要だと、自分が冷静にニュースを聞けてなかったことにも気づかされた。

 

スーパーの買い物は数日おきに私1人で行っていた。パルシステムもおうちコープも、個数制限がかかったり欠品が続いたりしたので、できるだけ調達できるものは自分で調達した。

 

緊急事態宣言中に誕生日を迎えた。子どもがケーキのデコレーションをしてくれ、夕食は普段は滅多に行けないイタリアンのテイクアウトをいただいた。

 

5月

連休と言っても日々変わらず。空いた時間に公園に子どもを連れて行き、身体を動かす時間は必ず取っていた。都内では公園が閉鎖されたというし、一部では公園の遊具もリスクあるから使わないように!と情報が回っていたけれど、幼児たちを何ヶ月も家に閉じ込めておいたら心身壊す可能性の方が高い。人から人にうつる感染症ならば、人がいない時間の公園に行こうと判断して、試行錯誤しながらも空いた時間帯の公園巡りをしていた。公園には液体石鹸の小さなボトルを持っていって、手洗いは欠かさなかった。

この頃から、次男が長男のオンライン講座を一緒に受け始め、小1の算数を勝手にやり始めたりしていた。

 

連休明けからは、大学はオリエンテーション期間。個別対応に追われていた。公式LINEをはじめ、問い合わせの対応をし続けていると仕事に終わりはない。対応するビジネスアワーを決めて、それ以降は翌日に回すようにした。加えて自分の授業の準備もある・・。保育園と小学校の預かりは週2〜3日。緊急事態宣言の延長に伴い、どうしても仕事の事情なら預かりますというトーンになり助かった。ただ、紫外線強くなり、私自身が37.4の発熱。猛烈なだるさがあった日があり、慌てて別室に引きこもった。そのまま眠り続けたらあっさり回復した。この頃、SITEの登壇のための予稿をなんとか書いていたが、とにかく頭が働かず苦戦した上に、腱鞘炎で激痛にボルタレンローションを塗りまくっていた。

 

5月半ば、マスクが市場に出始めた。ドンキホーテの前を通ったら、不織布マスク7枚入りで698円。

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ドンキの店頭


さらにはオンラインのオープンキャンパスの模擬授業録画があり、その資料も準備して出勤。髪のカットにも行けず、顔は疲れているが、それでも目の前に受講生を想定してライブで話すと自分も元気が出てくる。

 

5月22日(金)、本来は5月25日(月)発で予約していたSASHND-CPHの往復ともに欠航確定したので、返金手続き。予約したのは2月、この頃は「出張最終日は小学校の運動会と重なるなー、朝羽田着なら大丈夫かなー」なんて思っていた。もはや別世界の話。また、その後も本当に欧州はクリーンで安全な場所だと思い込んでいたので、日本からはNGと言われるのかな、とも思った時期もあった。

 

5月下旬はオンライン授業開始。しばらくは短い動画とPDFのみとして、徐々にZoomを部分的に導入することにした。通信量の逼迫が言われていて、「データダイエット」を心がけたのと、受講生の環境がわからなかったこともある。この頃になってようやく、学期はじめのイレギュラー対応の諸々が落ち着いていた。久々にAoEをやる余裕も出来てた。そして何より、

 

5月22日時点で神奈川県においては、早ければ5月25日をもって、指定が解除される可能性があるため、今後の保育所等の利用についての考え方をお示しします。

 

と、保育園についての文書が掲げられたことは区切りにもなっていた。ただ、一方で気持ちは沈んだままで、当時自分のFBにはこう書いていた。

 

緊急事態宣言が解除されて、子どもの小学校再開に向けたお便りがPDFで届き、保育園の登園予定を書く表も届き、次のフェーズなんだなと思うんだけど、なんか何もする気が起きなくてとにかく悲しい。よくわからん。何かが楽しみ、ということが感じられない。

 

緊急事態宣言が解除されてすぐ、実家に顔を見せにいってきた。両親と90代の祖母。いずれもハイリスク。解除後すぐならば、まだ人の往来は少ないしリスクも低いだろうと判断。屋外で会っただけだったけれど、貴重なタイミングだった。

 

新型コロナウイルスの影響をどう受けたか(2月〜3月)

スペイン風邪の時期に個人が遺した日記や記録が、今読み返されている。現在の新型コロナウイルスに関して、市井の人間は何を思い、何に苦しみ、どう生活していたのかはどんな形で残されるのか。相当数の人々が、日々の思いをSNSで発信し続けているものの、それこそ死後まで残るとも限らない。でも、残しておくべきと思う。

40代、大学教員(教務および広報担当)、未就学児2人・小学生1人の母親という自分が、どう過ごしてきたか、いったん2月〜3月を振り返ってまとめてみた。

2月

第1週

仕事は通常通り。3月下旬のラトビア出張のために、ヘルシンキ経由のYとワルシャワ経由のPYでは後者の方が安いけれど、MCT気になるなーどうしようかなーとFBに書き込んだりしていた。

 

小学生の息子が、クラスで流行していたインフルエンザBに罹患。予防接種してあったけれど、連日40度の発熱。インフルエンザ脳症が怖くて目が離せない。兄弟とは家庭内で隔離した結果、他の感染者は出ず。じきに学級閉鎖になった。学童も行けないし調整しなきゃ、というやりとりがママ友LINEで飛び交う。仕事は、子どものインフルエンザ対応で調整しつつもいつも通り。

1月にはAmazon定期オトク便で届いていたマスクは、2月は品切れで届かなかった。花粉症の時期は常に多めにストックしていたので、この時点で60枚入りが5箱はあったので、まあどうにかなるかなと思っていた。

 

第2週

仕事は通常通り。

 

PTAの集まりにも参加した。横浜に暮らしているので、ダイヤモンドプリンセス号のことが気になるが、生活に変化は無し。横浜そごうで開催された、人間共生学部の共生デザイン展に出かけて、子ども達もワークショップに参加。デパートに家族で行くことも通常通りだった。

花粉症がつらいと思い始めていた。

第3週

仕事は通常通り。都内での研究会にも参加。まだ至近距離でディスカッション。花粉症なので私はマスクをしていたが、マスクをしていない人も多かった。

3月下旬にラトビアで開催される予定だった国際会議からは、「レジストレーションしてね」と連絡が来るし、欧州は通常通りと思っていた。「不要不急の海外渡航は避けるべし」と職場で通達があったが、国際会議の出張はどうなるんだろう?と迷っていた。その時期は、欧州がCOVID-19汚染国としての日本からの入国を許すかどうかだよね、という論調。一方で、金沢大学で開催予定だった、情報処理学会の全国大会は、現地開催中止とのお知らせ。

ダイヤモンドプリンセス号から下船始まり、横浜駅で解散とのことで、周囲も少し気にし始める。みなとみらいで乗ったタクシーでは、「乗降の度にアルコールで消毒している」と言われた。ブッフェ形式の会食も普通に開催されていたし、参加もした。

第4週

仕事のリスケジュールが入り始める。RISTEX関連で、中学校での実証をお願いしていたものが全て直前でキャンセルになった。外部者の訪問を受けられない、という理由からあっという間に全国一斉休校に飲み込まれた。本学でも卒業式の中止が決定された。

一方で、25日にはラトビアで3月に開催される国際会議のプログラムが送られてきた。

 

この週の前半にあった、小学校の授業参観と懇談会は予定通りだった。昇降口にアルコール消毒液が置かれ、マスクで参加した。一方で、北海道では一斉休校が決定。と思ったら、いきなりの全国一斉休校ニュースを夕刻TVで見て、文字通り立ち尽くした。保育園は開くとのことで、いったんは安堵したものの、あまりに乱暴な決定プロセス、そして社会を支える人達は親でもあるということが無視されているという感覚に、むちゃくちゃ怒る。しかも、学校より学童の方が危ないじゃないかとか。当時のFBにはこんなことを書いていた。

そもそも休校は感染防止に役立つのか。
小学生ならば学童保育を開けるというが、学童のスペースは学校ほど大きくなく、子どもたちが詰め込まれる自体になれば飛沫感染接触感染のリスクは高まるのでは。祖父母に預けるなら、重篤化しやすい高齢者のリスクは?

さらには、職場に低学年の子を連れて行くとなれば、本末転倒だ。休校の決定が、デメリットやリスクを鑑みても有効だという証拠の上に成り立ってるのかどうか。学校以外の場所に行くだけではないのか。親は相変わらず通勤電車での感染リスクにさらされたままで。


なお、この時期、うちにあるのを忘れて1パックずつ余計にトイレットペーパーとティッシュを買ってしまっていた。結果的にこの行動に救われた。

3月

 第1週

入試などの用務は通常通り。出張が無くなった分、原稿を書く時間が取れた。

 

3月1日の時点でラトビアは日本からの入国後は健康観察をすること、という制限が発表された。子ども達からも「お母さん、ヨーロッパ行ったらコロナ!っていじめられるよ」と言われてしまった。ニュースでそのような映像があったからだろう。国際会議の出張を取りやめることにする。航空券以外の旅費とレジストレーション費用分を繰越申請(3月6日まで、コロナ理由の繰越〆切が延長された)。会議事務局にキャンセルの連絡をするが、返事がなかった。LOTポーランド航空からは、いまの状況では入国禁止ではないため、キャンセルしても払い戻しは無いと言われた。

 

2月28日から,日本,中国,韓国,シンガポール,イラン,イタリアのロンバルディア州ヴェネト州エミリア=ロマーニャ州及びピエモンテ州からの渡航者に,14日間自身において健康状態の観察(1日2回の検温を推奨)を求める。その期間中に,感染が疑われる症状(高熱,咳,喉の痛み,呼吸困難等)が発生した場合,可能であれば家族や他の人との接触を避け,速やかに113(救急番号)に連絡し,症状,症状の発生している期間やコロナウイルス感染地域への渡航歴を伝えることを求める。その後,病院から医療従事者が派遣され検査が行われ,検査結果は24時間以内に本人に通知される(注:症状の無い方に対し,当局等への健康状態の報告を義務づけたり,行動の制限を課すものではない。)。

(3月4日時点の安全情報より:ラトビア

一方、5月にデンマークで開催予定の国際会議については、英国の参加者から「大学が出張許可を出さない」という連絡があり、他の参加者たちもそれに続いている。ん?もしかして欧州も危ない?とうっすら思い始める

 

店頭からトイレットペーパー、ティッシュ類が姿を消す。金沢八景駅ビルがオープンしたが、京急ストアには在庫なしの貼り紙。

 

休校1週目。低学年は「緊急受け入れ」として、就労などの理由で子どもを教室に受け入れてくれることになった。最初は遠慮して行かせず仕事場に連れて行ったりしたが、明らかに子どもが飽きている。おそるおそる行かせたら、友達とは会えるし、好きな勉強をしても叱られないしで大いにリフレッシュしていた。割り切って、仕事のときは利用することにした。保育園は通常通りだが、延長保育は控えて欲しいと呼びかけがあった。

横浜市教育委員会からは、屋外での運動を推奨するお知らせも届く。人との接触が少なければ大丈夫と示されていたので、人が少ない公園へは連れて行くことに。

 

スポーツジムを休会した。代わりに、自宅で子ども達と一緒に「筋肉体操」を始めた。筋肉痛バキバキで翌日歩くのに難儀した。

 

第2週

年度末の予算執行や精算、そして在学生や新入生のガイダンス検討などの仕事が山積み。自分の研究に関しては、3月下旬に開催予定だった研究会を、遠隔開催とすることを決めた。

3月19日開催予定だった、ラトビアの国際会議も延期がアナウンスされた。LOTポーランド航空は、週末になってようやく、延期・バウチャー・返金の選択ができるようになったが、ラトビア行きはまだその対象外。ぎりぎりまで待つことにした。

また、5月26日開催予定だったデンマークでの国際会議は、3月11日に1年延期のお知らせが届いた。この時点では、5月下旬には日本では収束してるかな、欧州はその頃まだ流行開始くらいかな、なんて思っていた。

 

一方で、ボストンで2月26日〜27日に開催されたカンファレンスで、175人中70人がCOVID-19に感染したというニュースを読み、アメリカにも既に広がっているのでは・・と思い始めた

www.bostonherald.com

在宅で仕事をすることが増えたが、ランチはむしろ近所に出かけるようにしていた。どうしても行き詰まると、読むべき資料を持って近所のカフェに行ってみたり。徒歩圏に、個人経営のカフェをいくつも見つけた。買い物時にはローリングストックを意識して回していた。もともと、子ども達が病気を繰り返していたときのオペレーションに近い。

 

横浜市教育委員会からは、24日まで休校延長し、25日に終了式はやるとのこと。子どもの習い事は、ほぼ休みになったが一つだけは教室で継続。学童は休ませて学校の預かりだけを利用した。保育園は散歩が増えた。在宅での仕事が増えてきたので、登園時刻を9時にして、迎えも17時として時間を短縮した。結果、仕事は夜にやるように・・

 

週末に、横須賀のソレイユの丘に子ども達を連れて行った。広い公園で野菜を収穫。複合遊具には、午後から子ども達が山のように集まってきたので退散。さすがにオープンエアでも、あそこまで密集するのは、コロナに限らず何かうつしあっても怖いな、という感覚だった。一方で、休校でそれだけ子ども達が押さえつけられていて、親たちは必死で手足を伸ばせる場所を探して連れて行くんだよな、とも痛感した。


第3週

入学式中止、オリエンテーションは実施を予定するが変更の可能性ありと、大学からアナウンス。

FBに「大学での遠隔の学びを続けるぞ」というグループを作った。学内・学外でどのように授業や学生対応を組み立てていくかの情報収集に本腰を入れ始める。

 

週明けには、LOTポーランド航空運休のお知らせが出たため、あっさり全額返金。3月12日時点ではNGだったのが、14日時点で一気に運休になった。欧州の急激な変化を感じた

週末の三連休前に、休校の継続はしないというニュースでふっと気が楽になったが、一方で大学の授業が再開したら自分の身は守れるだろうか、親が罹患したら子ども達はどうしようかとか心配事が具体的になってきた。三連休は暖かかったし、これは人が集まるだろうと予想して、時間をずらして近所の公園に出かけるようにした。

 

第4週

 

卒業式が中止になったので、教室で学位記交付。卒業生たちと最後に会うことができた。この時期に送り出す側としては、とにかく元気でいてくれと思うばかりだった。

刻々と変わるスケジュール対応の仕事に追われ始める。ゼミの学生たちに簡易アンケートをとって通信環境や学習についての感触を得る。

 

科研の研究会を、関内メディアセンターで開催。招待講演者の古田雄介さんと私が会議室に対角に座り、他の参加者はZoom経由。

 

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大学から、3月27日(金)に、春学期の授業開始は5月14日(木)と告知あり。

 

週の前半は、なんとなく緩んだ空気はあったと思う。学童でも、少し遠いところの大きな公園に出かけていった。なんとなく、まだまだ長いはずだという感覚があって、家から出られなくなったときの食料備蓄を考えて、常温で保存できる豆乳やロングライフ牛乳をまとめて購入。その後、3月の27日(金)〜からの引き締めの呼びかけ。週末は予報通り雪が降って外気温は2度だった。スーパーが混雑する直前に、どうにか必要なものは買い込んであった。翌週からの学童での外出は取りやめになった。この頃、「今の東京は2週間前のNY」という記事を目にするようになった。いろいろと考えてしまい、夜うまく眠れなくなった。銀行に行くと「離れて並んでください!」と声をかけられた。

 

横浜市内の小学校は、3月30日の時点では、半日程度の短縮授業で再開予定と言われていた。長期化するなら、せめて行けるときに行ければと思っていたので、その意思決定は有り難いと思っていたが、Twitterを眺めていると相当の反対もあったようだ。