ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

国際女性デーを初めて意識した

国際女性デーを意識したのは今年が初めてだ。朝日新聞のサイトのDear Girlsがきっかけだったと思う。掲載される様々な女性たちの記事を読み、共感したり、あるいは自分はちょっと違うなと改めて感じたりした。なお、こうした記事で違和感を覚えるのも大事だと思っている。女性は女性というだけで、皆同じ感覚を持っている訳ではないからだ。ただ、女性というだけで機会を奪われたり、プライドを傷つけられたりすることについては、同じ性別ゆえに理解できる感覚は大きい。

国際女性デー特集 Dear Girls
http://www.asahi.com/special/deargirls/

BuzzFeedの特集も読み応えがある。

https://www.buzzfeed.com/women2017

ところで、英語では男女の敬称が違う。私が10代の頃は、MissとMrs.を区別するのが一般的で、ようやくMsという既婚・未婚に関係ない敬称を目にするようになった頃だ。10年近く前に博士号を取ったとき、先輩の研究者の方からの言葉を今でも覚えている。「これで、Dr.と書ける。性別も未婚か既婚かも何もないよ。おめでとう。」その博士号を取ることができたのは、なぜだろうかと改めて振り返る。自分が頑張って成し遂げたという感覚は、むしろ少ない。機会を与え、その機会をつかむことを支援してくれた人達のおかげだと感じている。そして、博士課程への進学も、その後の研究の機会も、支援してくれた人達の多くは男性だった。「社会的に不利になりがちだからこそ、早く学位を取れ」という言葉も男性からもらったものだ。一方で、ロールモデルの多くは女性の先輩方でもあった。子どもを産んだら何もかも諦めなくちゃいけないのかという気持ちが浮かんだとき、「そんなことない!」と考え直せたのは先輩方のおかげだ。私は、次の世代にどんな貢献ができるだろうか。

「勉強しなさい」と初めて言われたのは、3歳の頃、曾祖母からだったと思う。曾祖母は一人娘の跡取り娘。大学に行きたい!と泣きながら訴え、家出までしたものの許されなかったけれど、結局師範学校には行かせてもらえたと言う。その後曾祖母は、三人兄弟の母になったが小学校の先生も続けていたようだ。祖父たち兄弟が学校でいたずらをすると、先生同士で伝わって、家に帰っても叱られたものだよと、祖父から聞いた話を覚えている。ひ孫娘は、曾祖母が行きたかったという大学で働き、曾祖母と同じく三人兄弟を育てている。「ひいおばあちゃん」として年齢を重ねた姿しか記憶にないが、彼女も私も同じように、娘から大人になって年齢を重ねていったのだと、今はとてもリアルに感じられる。同年代の曾祖母に会えたら、どんな話をできうるだろうか?と、考えてしまった。