ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

復興の「踊り場」でデータを読む

先週参加したアエラスフォーラムで、ダイバーシティ研究所の田村太郎さんのお話を聞く機会があった。田村さんは復興庁の上席政策調査官も務めておられる。

ご講演のスライドには、データが並べられている。情緒的な「頑張りましょう」ではない。阪神・淡路大震災東日本大震災の比較を、あくまで数字で並べる。非常に単純な数字であっても、自分が持っていた強いバイアスに気づかされる。たとえば、避難所生活者の推移を見ると、これまでの大地震でその傾向は大きく変わっていない。震災被害の概要、負傷者数をみたときには、阪神・淡路では4万3000人を超え、東日本大震災では6000人だった。仮設住宅での年代別孤独死を見ると、50代男性の肝疾患がトップだ。高齢者こそ孤独死と思っていたが、データからは働き盛りの年代の男性。肝疾患ということは、酒量だろうか。データは、思い込みに隠されがちな事実を見せてくれる。

私がこのブログでかいつまんで紹介するのも良くないだろう。スライドに書かれていたグラフも表も、出典を見ると、すべて既に公開されているデータを取りまとめたものだ。言い換えれば、誰でもこうした表やグラフを作る機会がある。数字にすれば見えるもの、複数のものを並べて見えるもの。

ソーシャルメディアの情報共有は、確かに、見過ごしていたものを見せてくれた。現地、当事者のメッセージは強烈だ。現場でしか見えないものは確かにある。ただ、それが強烈であるほど、データを見る上でのバイアスは強くなる。強い印象は、別のものを見落とさせる可能性がある。ある一人の経験は、誰に対しても一般化できるとは限らない。感情によってバイアスが発生することはやむを得ない。人は共感によって強くもなる。けど、感情とデータは別物だ。もしかしたら、被災地から離れて暮らす人間の役割は、ここにあるのかもしれない。

復興の過程には、「踊り場」が存在すると聞いた。2年ほど、目に見える進展がなく苦しい時期と言う。この時期の研究こそ必要だとも言う。今の時期に見えてくることもあるだろうと気づかされたご講演だった。