ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

めまぐるしい2010年だった

一年前に振り返った記事を読み返したが、今年は、まったく予想がつかないことばかり起きた。職場を変わり、米国行きの機会を得たり。。身内を送ったことは悲しいことだった。

金曜から土曜の週末になるだけ、とも言えるけれど、一年という区切りをつけることは、気持ちの区切りをつけられることだと思う。

1月は、欧州のID調査のプロジェクトをいただいて動きだしたほか、いろいろなことの準備に追われていたように思う。2009年12月から続けていた、百人一首超訳・#akoyaku(まとめてくださったのはこちら)を仕上げる。iPhoneを持ち歩きTwitterに投稿する形だ。

2月は、「成績をつける」ことに追われた。最初から最後まで科目を担当したのは、東京都市大で非常勤講師として担当している「情報化と市民参加」が初めてだった。諸々の報告書や、異動のための準備でだんだん時間がなくなっていった。

3月は、息つく間もなかった。慶應義塾大学に移ることとなり、中央大学には年明けより多大なお手数をおかけしてしまった。個人研究室を片付ける一方で、海外出張が相次いだ。上旬にはアメリカのピッツバーグカーネギーメロン大学にてマンガ教材のワークショップを開催した。外国の人にマンガを読んでいただくには、コマを読む方向を示さねばならないことを知った。帰国したときに、中央大学学術研究奨励賞をいただく。情報社会学会での優秀論文を受けての受賞で、最後に形を残せて嬉しかった。下旬はポルトガルポルトで開催された学会へ、スポンサーの方々と出張。移動中はただひたすら報告書を書き続けた。戻ってから、かねてよりコーディネートしていたID・プライバシのシンポジウムを開催。中央大学ビジネススクール一期生の修了式に参加させていただき、ある意味同時に卒業するのだな、と感慨深かった。デジタルアーカイブの委員としても、最後に報告会に登壇させていただき、日付が変わるまで語り合った。

本や書類や機材を片付け、がらんとした中央大学「折田研究室」を後にしたとき、いかに恵まれた環境を与えられていたのかと、少し泣きそうになった。

4月から所属が変わった。母校慶應義塾大学SFCでの特別研究講師だ。任期は1年単位。初日から打ち合わせが相次ぎ、ペースの早さに少しくらくらする。夜空に激しいほど咲いた桜をまだ覚えている。所属するコンソーシアムのシンポジウム開催に数件関わりつつ、年末に出してアクセプトされた国際会議への論文をなんとか書き上げた。

5月に入ると、学部ゼミをはじめ、SFCでの働き方に少し慣れてくる。「太る&やせる会」という集まりは、このときに始まった。関西学院大学文学部での非常勤講師スタート。複数講師で分担するため、私は3回担当した。5月末には、香川大学(初めて四国に行った!)にて講演の機会をいただいた。これを皮切りに、今年は多くの講演の機会をいただいた。

6月には、コミュニケーション科学基礎研究所に伺い、研究の話をさせていただいたのをきっかけに、Pfitzmannらの "anon terminology"の用語リスト翻訳を始めることに。企業でのマンガ研修、ケネソー州立大学アモロソ教授と学生さんたちをお迎えしてのワークショップをこなした後には、英国マンチェスターにてマンガ教材のワークショップを開催。次に何がくるか分かる、という感覚で段取りを次々進めていけるのは初めての経験。この季節の英国の気候の良さに驚いた。帰国直後は、関西の高校にお伺いして大学のご紹介。早稲田大学で開催されたITS2010にて、KDDI総研藤原さんとの共同研究を発表。携帯ユーザの意向と行動の乖離について調査結果から報告した。
6月からは、中央大学ビジネススクールで兼任講師としての科目担当も始まった。「ネットワーク時代のセキュリティとガバナンスを考える」を担当し、週に2コマ連続、22時近くまで社会人学生に講義をする。私にとっても毎週が真剣勝負だった。

7月の始まりは、大学七夕祭で浴衣を着たことから。横浜ストリームでの講演、日立uValueコンベンションでの講演など勉強する機会は続く。少し新しい仕事を戴くようにもなった。

8月には、山形市鶴岡市の両方に出かけていった。JWEINでの講演の機会をいただいたほか、OIDF-Jの方々と協力して、国民ID制度のシンポジウムをコーディネート。このときのメンバーで、今でも研究会が続いている。月末には、東工大吉川研が開催する教育ゼミで、泊まり込みでカール・ポパーを読んだ。反証可能性について読んだことは、その後の自分に影響が大きかった。くるくる関内メンバーで箱根に合宿したのも、夏休みならではの思い出。

9月は、Twitter研、RSAカンファレンス、ニフティと3度も講演の機会があった。その度に勉強だ。上旬には、科学教育学会に参加し、これまでに関わって来なかった分野の学会にて、いい意味でのアウェー感を覚える。秋学期が始まり、大学院科目「先端研究(ケースメソッド)」を、師であり上司である國領先生から引き継いで担当。Yinのケーススタディ手法をベースに、社会科学の研究手法を丁寧に見ていく講義だ。教科書の版も新しくなり、もう一度勉強するつもりでかじりついた。下旬には、アトランタで開催されたGrace Hopper Celebrationに参加。このとき、ケネソー州立大学でゲスト講義をしたことが、大きくいろいろなことを変えていく。

10月に入り、先般講義をしたケネソー州立大学にて "visiting professor"というお誘いを戴く。先方から給与をいただいての在外経験は滅多にできるものではないが、躊躇する気持ちは大きい。ルーマニアへの学会出張を経て、行ってこようと気持ちを固めた。なお、ルーマニアは初の旧共産圏。あらゆる意味で印象深い。帰国した日には、拝命していた「IT戦略本部規制・制度改革専門調査会」の初回。いろいろなことが変わりつつあり、自分の記憶と夢の区別がつかなくなりそうだった。

11月。アメリカ行きのお返事をする。韓国に2泊3日でSNSに関する国際会議で講演。若手の研究者・教員が世界各国から講演者として集められていて、否応なく国外に目が向く。帰国直後に経営情報学会@中京大学内閣官房セキュリティセンターでの普及・啓発の委員をお受けしたり、産総研TPJAMのファシリテータを務めるなど、面白い経験が増えていく。毎年恒例OpenResearchForumでは、(登壇こそしなかったが)自治体ICTサミットへの調整が形になり、自分がモデレートしたIDに関するセッションを担当。初のarg (id:arg)カフェでは、紀貫之ソーシャルメディアについて語ってくる。DPS/GN/EIP合同研での研究発表など、あっというまに1ヶ月過ぎた。この間に、渡米のための書類を送り、シラバスを準備していたが、仕事の一つ一つが雑にならなかったかと反省する。

12月。大きな役目は、第3回知識共有コミュニティワークショップの実行委員長@京都と、規制・制度改革専門調査会の「政府統計データの活用」の担当。合間にJ-1ビザの書類を揃えて、面接して申請。年の瀬27日に一つ講演に伺い、28日には専門調査会。ようやく渡米のために身の回りの整理に入れる、というのが今日だった。

ざっくり書くつもりが、はしょってもこんなことになってしまった。
本年に感謝。