ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

実名報道をする意味

匿名報道する対象が違う気がする
http://d.hatena.ne.jp/oritako/20080410/1207808533
にて書いたことに対して、ひとつの見解を見つけてきた。

名古屋外国語大学紀要33号
http://library.nakanishi.ac.jp/kiyou/gaidai(33)/00_7_mokuji_contents.pdf

内藤正明「実名報道と匿名報道の社会的役割――「国民の知る権利」と「少年法61条・推知報道の禁止」――」
http://library.nakanishi.ac.jp/kiyou/gaidai(33)/05.pdf

この中で火事のニュースを例示して、次のように書かれている。

5W1H のうち匿名報道を想定するならば削除されるものはWHO(だれ)に該当する「会社員・静岡太郎さん」それに人物が推知できるという要素を考えるとWHERE(どこ)静岡市中央区山手町」の表現が匿名とされるであろう。その結果は伝達バリュー1で記した「肉親、友人、知人が火事で焼け出されていないか」という視聴者ニーズにニュースが答えられないという事態が起きる。

事件や事故の被害者が知り合いかどうか、というのは、なるほど大事な情報だ。静岡市中央区山手町に住んでいる静岡太郎さんをよく知る人にとっては、「住所」+「氏名」は貴重な情報である一方で、まったく無関係の人にとっては住所がどこかもわからないし、その氏名(実名)は他の仮名と同じくらいの情報量しかないかもしれない。一方で、就業状態を知られたくないのに「無職」などと報道されたとしたら、それは報道される人物本人にとっては不本意だろう。

続いて挙げられている例は、速度違反をした教諭を匿名で報道した話である。

この論文をはじめ、この対比は極端に感じられる。かつ、少年法も含め容疑者の匿名報道は議論されるものの、被害者の匿名報道の検討は不十分に思う。