ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

緊急事態宣言の頃の記録(4月〜5月)

書き残して置こうと思いながらも、あっという間に時間が経って2020年が終わりそうになっている。忘れる前に4月〜5月の記録をしておこう。

 

4月

4月1日。年度は替わったものの、いつ緊急事態宣言が出るのかどうかという雰囲気で、4月に再開すると言っていた横浜市の小学校も、再開延期し始業式の後に20日まで休校というアナウンスが4月3日には出た。小2の長男は、とても怒っていた。「ただ学校に行きたいのに、いきなり休みになってずっとなのか!」と。小学校での緊急受け入れは継続とのことで、週2〜3日は学校に行ってもらうことにした。
8日からはネットで小学校の授業動画配信もあった。一方的に配信されるだけだが、子どもは動画に「おはようございます!」と話しかけたりしていた。双方向ならよいのにと思いつつ・・。

マスクもアルコールもどこにも売っていない。子ども達から「マスクほしい」と言われて、ミシンを引っ張り出して、YouTubeでやり方の動画を検索し、ミニタオルやハンカチでマスクを縫った。この頃、ゴム紐も手に入らず、ストッキングを切ってギュッと引っ張ったものを代用にした。耳が痛くならないらしい。

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手縫いのマスク

先が見えず気持ちは落ち込むが、桜は満開。4日(土)は川沿いに桜を見に出かけてきた。SNSを見過ぎると自分のメンタルへの影響がよくないと判断し、スマホでの閲覧は30分の制限をかけた。

 

4月7日(火)、緊急事態宣言。翌日から横浜駅西口・東口の地下街はクローズと書かれていて、なぜか駆け込みでTopsのケーキを買ってしまった。翌8日(水)は保育園に預けて出勤したが、電車はガラガラ。この時点では横浜市では、保育園にも登園自粛の話は出ていなかったが、翌9日からは「保護者が在宅勤務の方」は保育園の利用を控えるようにと貼り紙が出た。この時点では、週2〜4日で登園予定を申請していた。在宅勤務ではあったものの、夫婦交代で3人見ながらの仕事には限界があった。市は原則開園としていたものの、横浜私立保育園園長会からも強い登園自粛のメッセージが出されて、登園はかなり難しくなった。

年度替わりで教務委員になり、しかも急遽オンラインで授業を進めることに加えて、新入生のケアをどうするか。公式LINEの設置や、ガイダンス動画の制作など仕事は山積みだった。新入生の履修パターンをいくつも想定して動画を作る。子どもが寝静まった夜にやるしかなかった。ガイダンス動画を完成させたのは、4月21日だったようだ。

 

仕事は集中しないとできないし、子ども達は不要不急で親に話しかけてくるし、こちらは集中どころではない。親同士は会議が重ならないように調整しつつも、それでも会議中の親の方に行こうとする子どもに「仕事をじゃまするんじゃない!!」と叱りつけてしまう。これでは子どものメンタルも削れていくのは分かるが、もうどうにもならない。いつか子を殴る蹴るという事態になってしまうんではないかと怖かった。親子が離れる時間も取れない。親も子も、息抜きができない。
 

4月中旬、飲食店のテイクアウトがどんどん増えてきたし、昼は外を歩いて買いに行くようになった。横浜駅は人が殆どいなかった。近隣のスーパーはチラシを廃止。麺類は米は「一家族○個まで」と制限つき。まいばすけっとはどこに行っても、紙類が不足していた。大変有り難いことにマスクが手に入ったので、保育園にいくらか寄付をした。保育士の皆さんは、自分で調達するしかなかったとのこと。自分は、サージカルマスクを一度使ったら軽く洗って干して、数回使っていた。布マスクは子どもが使っていた。とにかくマスクはどこにも売っていなかった。

 

4月22日、横浜市から強い登園自粛が要請された。まったく登園不可となると、本当に仕事もままならない。子どもが家にいる間は、午前中は少し勉強などをやらせ、昼前に空いた公園に連れて行き、戻って昼食、午後は動画やゲームなど好きに過ごさせつつ親は仕事という形だった。切羽詰まって保育園に相談したところ、週2日は登園OKとしてくれ、本当に本当に救われた。福祉機関としての有り難さが身にしみた。親子が離れる時間を持てたことが、なにより大きかった。
登園している子は、普段の1/3程度。皆が少しずつなんとか支えてもらっていたのだろう。それでも、この時期は仕事もきつくて休職したいと思い、夜仕事をしていると涙がボロボロとこぼれてきていた。

これを踏まえ、登園自粛をお願いする期間について、保育の対象とする方の保護者の職業 要件について、具体的にお示しいたします。なお、お示しする職業に当てはまらない場合な どで、真に保育が必要である場合については、個別に各園にご相談ください。

 

園児の両親がともに下記職業要件に該当するなど、ご家庭での保育が困難な状況にある場合。

※上記の職業要件に該当されている方についても、どうしても必要な日のみや時間短縮など 必要最小限のご利用にしていただきますようお願いします。

1医療関係従事者(医師、看護師、薬剤師、保健師等)

2ライフラインを支える職の従事者(公共交通機関、水道、ガス、電気等)

3福祉施設等の従事者(高齢者施設、障害者施設、保育所等)

4生活必需物資販売施設等の従事者(卸売市場、食料品売場、コンビニエンスストア等)

5その他社会生活を維持する上で必要な施設等の従事者(警察、消防、その他行政サービス、金融機関、運送関係等)

横浜市からの配布資料より)

 

一方で、子どもに気づかされることも多かった。4月下旬からは、上の子の習い事がオンラインになった。授業のやり方は大いに参考になる。また、ニュースを見ていると、二番目の子が「新型コロナで何人治ったの?何人死んじゃったの?あと何人治って何人死んだら、コロナ終わるの?」と聞いてくる。そうか、治った人の数も重要だと、自分が冷静にニュースを聞けてなかったことにも気づかされた。

 

スーパーの買い物は数日おきに私1人で行っていた。パルシステムもおうちコープも、個数制限がかかったり欠品が続いたりしたので、できるだけ調達できるものは自分で調達した。

 

緊急事態宣言中に誕生日を迎えた。子どもがケーキのデコレーションをしてくれ、夕食は普段は滅多に行けないイタリアンのテイクアウトをいただいた。

 

5月

連休と言っても日々変わらず。空いた時間に公園に子どもを連れて行き、身体を動かす時間は必ず取っていた。都内では公園が閉鎖されたというし、一部では公園の遊具もリスクあるから使わないように!と情報が回っていたけれど、幼児たちを何ヶ月も家に閉じ込めておいたら心身壊す可能性の方が高い。人から人にうつる感染症ならば、人がいない時間の公園に行こうと判断して、試行錯誤しながらも空いた時間帯の公園巡りをしていた。公園には液体石鹸の小さなボトルを持っていって、手洗いは欠かさなかった。

この頃から、次男が長男のオンライン講座を一緒に受け始め、小1の算数を勝手にやり始めたりしていた。

 

連休明けからは、大学はオリエンテーション期間。個別対応に追われていた。公式LINEをはじめ、問い合わせの対応をし続けていると仕事に終わりはない。対応するビジネスアワーを決めて、それ以降は翌日に回すようにした。加えて自分の授業の準備もある・・。保育園と小学校の預かりは週2〜3日。緊急事態宣言の延長に伴い、どうしても仕事の事情なら預かりますというトーンになり助かった。ただ、紫外線強くなり、私自身が37.4の発熱。猛烈なだるさがあった日があり、慌てて別室に引きこもった。そのまま眠り続けたらあっさり回復した。この頃、SITEの登壇のための予稿をなんとか書いていたが、とにかく頭が働かず苦戦した上に、腱鞘炎で激痛にボルタレンローションを塗りまくっていた。

 

5月半ば、マスクが市場に出始めた。ドンキホーテの前を通ったら、不織布マスク7枚入りで698円。

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ドンキの店頭


さらにはオンラインのオープンキャンパスの模擬授業録画があり、その資料も準備して出勤。髪のカットにも行けず、顔は疲れているが、それでも目の前に受講生を想定してライブで話すと自分も元気が出てくる。

 

5月22日(金)、本来は5月25日(月)発で予約していたSASHND-CPHの往復ともに欠航確定したので、返金手続き。予約したのは2月、この頃は「出張最終日は小学校の運動会と重なるなー、朝羽田着なら大丈夫かなー」なんて思っていた。もはや別世界の話。また、その後も本当に欧州はクリーンで安全な場所だと思い込んでいたので、日本からはNGと言われるのかな、とも思った時期もあった。

 

5月下旬はオンライン授業開始。しばらくは短い動画とPDFのみとして、徐々にZoomを部分的に導入することにした。通信量の逼迫が言われていて、「データダイエット」を心がけたのと、受講生の環境がわからなかったこともある。この頃になってようやく、学期はじめのイレギュラー対応の諸々が落ち着いていた。久々にAoEをやる余裕も出来てた。そして何より、

 

5月22日時点で神奈川県においては、早ければ5月25日をもって、指定が解除される可能性があるため、今後の保育所等の利用についての考え方をお示しします。

 

と、保育園についての文書が掲げられたことは区切りにもなっていた。ただ、一方で気持ちは沈んだままで、当時自分のFBにはこう書いていた。

 

緊急事態宣言が解除されて、子どもの小学校再開に向けたお便りがPDFで届き、保育園の登園予定を書く表も届き、次のフェーズなんだなと思うんだけど、なんか何もする気が起きなくてとにかく悲しい。よくわからん。何かが楽しみ、ということが感じられない。

 

緊急事態宣言が解除されてすぐ、実家に顔を見せにいってきた。両親と90代の祖母。いずれもハイリスク。解除後すぐならば、まだ人の往来は少ないしリスクも低いだろうと判断。屋外で会っただけだったけれど、貴重なタイミングだった。

 

新型コロナウイルスの影響をどう受けたか(2月〜3月)

スペイン風邪の時期に個人が遺した日記や記録が、今読み返されている。現在の新型コロナウイルスに関して、市井の人間は何を思い、何に苦しみ、どう生活していたのかはどんな形で残されるのか。相当数の人々が、日々の思いをSNSで発信し続けているものの、それこそ死後まで残るとも限らない。でも、残しておくべきと思う。

40代、大学教員(教務および広報担当)、未就学児2人・小学生1人の母親という自分が、どう過ごしてきたか、いったん2月〜3月を振り返ってまとめてみた。

2月

第1週

仕事は通常通り。3月下旬のラトビア出張のために、ヘルシンキ経由のYとワルシャワ経由のPYでは後者の方が安いけれど、MCT気になるなーどうしようかなーとFBに書き込んだりしていた。

 

小学生の息子が、クラスで流行していたインフルエンザBに罹患。予防接種してあったけれど、連日40度の発熱。インフルエンザ脳症が怖くて目が離せない。兄弟とは家庭内で隔離した結果、他の感染者は出ず。じきに学級閉鎖になった。学童も行けないし調整しなきゃ、というやりとりがママ友LINEで飛び交う。仕事は、子どものインフルエンザ対応で調整しつつもいつも通り。

1月にはAmazon定期オトク便で届いていたマスクは、2月は品切れで届かなかった。花粉症の時期は常に多めにストックしていたので、この時点で60枚入りが5箱はあったので、まあどうにかなるかなと思っていた。

 

第2週

仕事は通常通り。

 

PTAの集まりにも参加した。横浜に暮らしているので、ダイヤモンドプリンセス号のことが気になるが、生活に変化は無し。横浜そごうで開催された、人間共生学部の共生デザイン展に出かけて、子ども達もワークショップに参加。デパートに家族で行くことも通常通りだった。

花粉症がつらいと思い始めていた。

第3週

仕事は通常通り。都内での研究会にも参加。まだ至近距離でディスカッション。花粉症なので私はマスクをしていたが、マスクをしていない人も多かった。

3月下旬にラトビアで開催される予定だった国際会議からは、「レジストレーションしてね」と連絡が来るし、欧州は通常通りと思っていた。「不要不急の海外渡航は避けるべし」と職場で通達があったが、国際会議の出張はどうなるんだろう?と迷っていた。その時期は、欧州がCOVID-19汚染国としての日本からの入国を許すかどうかだよね、という論調。一方で、金沢大学で開催予定だった、情報処理学会の全国大会は、現地開催中止とのお知らせ。

ダイヤモンドプリンセス号から下船始まり、横浜駅で解散とのことで、周囲も少し気にし始める。みなとみらいで乗ったタクシーでは、「乗降の度にアルコールで消毒している」と言われた。ブッフェ形式の会食も普通に開催されていたし、参加もした。

第4週

仕事のリスケジュールが入り始める。RISTEX関連で、中学校での実証をお願いしていたものが全て直前でキャンセルになった。外部者の訪問を受けられない、という理由からあっという間に全国一斉休校に飲み込まれた。本学でも卒業式の中止が決定された。

一方で、25日にはラトビアで3月に開催される国際会議のプログラムが送られてきた。

 

この週の前半にあった、小学校の授業参観と懇談会は予定通りだった。昇降口にアルコール消毒液が置かれ、マスクで参加した。一方で、北海道では一斉休校が決定。と思ったら、いきなりの全国一斉休校ニュースを夕刻TVで見て、文字通り立ち尽くした。保育園は開くとのことで、いったんは安堵したものの、あまりに乱暴な決定プロセス、そして社会を支える人達は親でもあるということが無視されているという感覚に、むちゃくちゃ怒る。しかも、学校より学童の方が危ないじゃないかとか。当時のFBにはこんなことを書いていた。

そもそも休校は感染防止に役立つのか。
小学生ならば学童保育を開けるというが、学童のスペースは学校ほど大きくなく、子どもたちが詰め込まれる自体になれば飛沫感染接触感染のリスクは高まるのでは。祖父母に預けるなら、重篤化しやすい高齢者のリスクは?

さらには、職場に低学年の子を連れて行くとなれば、本末転倒だ。休校の決定が、デメリットやリスクを鑑みても有効だという証拠の上に成り立ってるのかどうか。学校以外の場所に行くだけではないのか。親は相変わらず通勤電車での感染リスクにさらされたままで。


なお、この時期、うちにあるのを忘れて1パックずつ余計にトイレットペーパーとティッシュを買ってしまっていた。結果的にこの行動に救われた。

3月

 第1週

入試などの用務は通常通り。出張が無くなった分、原稿を書く時間が取れた。

 

3月1日の時点でラトビアは日本からの入国後は健康観察をすること、という制限が発表された。子ども達からも「お母さん、ヨーロッパ行ったらコロナ!っていじめられるよ」と言われてしまった。ニュースでそのような映像があったからだろう。国際会議の出張を取りやめることにする。航空券以外の旅費とレジストレーション費用分を繰越申請(3月6日まで、コロナ理由の繰越〆切が延長された)。会議事務局にキャンセルの連絡をするが、返事がなかった。LOTポーランド航空からは、いまの状況では入国禁止ではないため、キャンセルしても払い戻しは無いと言われた。

 

2月28日から,日本,中国,韓国,シンガポール,イラン,イタリアのロンバルディア州ヴェネト州エミリア=ロマーニャ州及びピエモンテ州からの渡航者に,14日間自身において健康状態の観察(1日2回の検温を推奨)を求める。その期間中に,感染が疑われる症状(高熱,咳,喉の痛み,呼吸困難等)が発生した場合,可能であれば家族や他の人との接触を避け,速やかに113(救急番号)に連絡し,症状,症状の発生している期間やコロナウイルス感染地域への渡航歴を伝えることを求める。その後,病院から医療従事者が派遣され検査が行われ,検査結果は24時間以内に本人に通知される(注:症状の無い方に対し,当局等への健康状態の報告を義務づけたり,行動の制限を課すものではない。)。

(3月4日時点の安全情報より:ラトビア

一方、5月にデンマークで開催予定の国際会議については、英国の参加者から「大学が出張許可を出さない」という連絡があり、他の参加者たちもそれに続いている。ん?もしかして欧州も危ない?とうっすら思い始める

 

店頭からトイレットペーパー、ティッシュ類が姿を消す。金沢八景駅ビルがオープンしたが、京急ストアには在庫なしの貼り紙。

 

休校1週目。低学年は「緊急受け入れ」として、就労などの理由で子どもを教室に受け入れてくれることになった。最初は遠慮して行かせず仕事場に連れて行ったりしたが、明らかに子どもが飽きている。おそるおそる行かせたら、友達とは会えるし、好きな勉強をしても叱られないしで大いにリフレッシュしていた。割り切って、仕事のときは利用することにした。保育園は通常通りだが、延長保育は控えて欲しいと呼びかけがあった。

横浜市教育委員会からは、屋外での運動を推奨するお知らせも届く。人との接触が少なければ大丈夫と示されていたので、人が少ない公園へは連れて行くことに。

 

スポーツジムを休会した。代わりに、自宅で子ども達と一緒に「筋肉体操」を始めた。筋肉痛バキバキで翌日歩くのに難儀した。

 

第2週

年度末の予算執行や精算、そして在学生や新入生のガイダンス検討などの仕事が山積み。自分の研究に関しては、3月下旬に開催予定だった研究会を、遠隔開催とすることを決めた。

3月19日開催予定だった、ラトビアの国際会議も延期がアナウンスされた。LOTポーランド航空は、週末になってようやく、延期・バウチャー・返金の選択ができるようになったが、ラトビア行きはまだその対象外。ぎりぎりまで待つことにした。

また、5月26日開催予定だったデンマークでの国際会議は、3月11日に1年延期のお知らせが届いた。この時点では、5月下旬には日本では収束してるかな、欧州はその頃まだ流行開始くらいかな、なんて思っていた。

 

一方で、ボストンで2月26日〜27日に開催されたカンファレンスで、175人中70人がCOVID-19に感染したというニュースを読み、アメリカにも既に広がっているのでは・・と思い始めた

www.bostonherald.com

在宅で仕事をすることが増えたが、ランチはむしろ近所に出かけるようにしていた。どうしても行き詰まると、読むべき資料を持って近所のカフェに行ってみたり。徒歩圏に、個人経営のカフェをいくつも見つけた。買い物時にはローリングストックを意識して回していた。もともと、子ども達が病気を繰り返していたときのオペレーションに近い。

 

横浜市教育委員会からは、24日まで休校延長し、25日に終了式はやるとのこと。子どもの習い事は、ほぼ休みになったが一つだけは教室で継続。学童は休ませて学校の預かりだけを利用した。保育園は散歩が増えた。在宅での仕事が増えてきたので、登園時刻を9時にして、迎えも17時として時間を短縮した。結果、仕事は夜にやるように・・

 

週末に、横須賀のソレイユの丘に子ども達を連れて行った。広い公園で野菜を収穫。複合遊具には、午後から子ども達が山のように集まってきたので退散。さすがにオープンエアでも、あそこまで密集するのは、コロナに限らず何かうつしあっても怖いな、という感覚だった。一方で、休校でそれだけ子ども達が押さえつけられていて、親たちは必死で手足を伸ばせる場所を探して連れて行くんだよな、とも痛感した。


第3週

入学式中止、オリエンテーションは実施を予定するが変更の可能性ありと、大学からアナウンス。

FBに「大学での遠隔の学びを続けるぞ」というグループを作った。学内・学外でどのように授業や学生対応を組み立てていくかの情報収集に本腰を入れ始める。

 

週明けには、LOTポーランド航空運休のお知らせが出たため、あっさり全額返金。3月12日時点ではNGだったのが、14日時点で一気に運休になった。欧州の急激な変化を感じた

週末の三連休前に、休校の継続はしないというニュースでふっと気が楽になったが、一方で大学の授業が再開したら自分の身は守れるだろうか、親が罹患したら子ども達はどうしようかとか心配事が具体的になってきた。三連休は暖かかったし、これは人が集まるだろうと予想して、時間をずらして近所の公園に出かけるようにした。

 

第4週

 

卒業式が中止になったので、教室で学位記交付。卒業生たちと最後に会うことができた。この時期に送り出す側としては、とにかく元気でいてくれと思うばかりだった。

刻々と変わるスケジュール対応の仕事に追われ始める。ゼミの学生たちに簡易アンケートをとって通信環境や学習についての感触を得る。

 

科研の研究会を、関内メディアセンターで開催。招待講演者の古田雄介さんと私が会議室に対角に座り、他の参加者はZoom経由。

 

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大学から、3月27日(金)に、春学期の授業開始は5月14日(木)と告知あり。

 

週の前半は、なんとなく緩んだ空気はあったと思う。学童でも、少し遠いところの大きな公園に出かけていった。なんとなく、まだまだ長いはずだという感覚があって、家から出られなくなったときの食料備蓄を考えて、常温で保存できる豆乳やロングライフ牛乳をまとめて購入。その後、3月の27日(金)〜からの引き締めの呼びかけ。週末は予報通り雪が降って外気温は2度だった。スーパーが混雑する直前に、どうにか必要なものは買い込んであった。翌週からの学童での外出は取りやめになった。この頃、「今の東京は2週間前のNY」という記事を目にするようになった。いろいろと考えてしまい、夜うまく眠れなくなった。銀行に行くと「離れて並んでください!」と声をかけられた。

 

横浜市内の小学校は、3月30日の時点では、半日程度の短縮授業で再開予定と言われていた。長期化するなら、せめて行けるときに行ければと思っていたので、その意思決定は有り難いと思っていたが、Twitterを眺めていると相当の反対もあったようだ。

 

 

 

2019年を振り返って

あっという間に過ぎた一年で、執筆すべき原稿を仕上げられなかった後悔が残っている。一方で、それぞれ別々に進めていた研究テーマが、自分の中で納得できる一つの流れれとして感じられたのは大きかった。子どもから青少年、そして死後に至るまで、あらゆるデータに囲まれた世界でどうやって自分のアイデンティティを生きていくか、という話になるのだと思う。

 

なお、今年はメディアに少しずつ取り上げていただいた。TV(読売TV)ラジオ(NHK)、新聞(日本経済新聞)、雑誌(FLASHサイゾー、ダイヤモンドオンライン)等。一方で、論文はrejectを食らいまくったのもあり、一本期待を持てるのがあるのみ。なかなか試練。

 

1月:予防接種をしていたのにインフルエンザA罹患。熱はそれほど上がらずに済んだが頭痛辛し。詳細なシラバス執筆の作業に追われつつ、さらに小学校入学説明会の書類の多さに頭がクラクラした。

 

2月:なぜか記憶がない。論文を書いていた気がする。

 

3月:シンガポールへ出張(RISTEX関連)*1Better Internet フェイクニュースの話題が多めだったが、基本的に子ども達が自分でネットを使いこなしていくことを前提にしているのは日本と大きく違っていた。サイバーセキュリティも「国防」としての位置づけ。直後に情報処理学会全国大会@福岡大学で毎年恒例のパネリスト。上の子の卒園式では涙。6年間の保育園生活が終わった。春休みは北関東〜福島に家族旅行。応援していた、青野慶久さんの夫婦別姓訴訟が東京地裁で棄却に。傍聴に行っていたが、呆然とした。

 

4月:科研費(基盤B)採択!テーマは「情報ネットワーク社会における『死』の再定義」。これは本当に嬉しかった。4月1日は末っ子が発熱で一緒に家にいたのだけど、Webで採択結果を見て「やったー!」と喜んだら、一緒に「やったー」と言ってくれた(笑)。プライベートでは、上の子の小学校入学。そもそも4月頭から学童通いで弁当作りも始まったし、しばらくは投稿も親が付き添い。なお、下の子達を保育園に送る途中で自転車に引っかけられて転倒。暫く腕が上がらない状況で困った。自転車でも交通事故なのですぐ警察に行くべし。

 

5月:平成から令和へ。連休中に北関東へ家族旅行。Facebook  Global Safety and Well-Being Summitに参加させていただく。青少年のsafety関連がメインの目的だったが、自殺や遺族のコミュニティの話が印象に残った。

about.fb.comまた、Summitが終わってから、911メモリアルミュージアムへ駆け込んだ。これは衝撃的すぎて、しばらく言葉も無かった。故人の名前には印がつけられており(生存者と区別している)、亡くなる直前の声を聞くことも出来た。死後のデータを残すことの意味も同時に考えさせられた。

www.911memorial.org

下旬には、急いでパスポート更新。また、「ウエークアップ!ぷらす」でデジタル遺品について取材VTRが取り上げられた。

 

6月:本学の創造祭・スポーツフェスティバルに初参加。EIP/SITE合同研究会 のローカルアレンジ@KGU関内メディアセンター。滞りなく終わって一安心。情報法制シンポジウムで信用スコアのパネルに登壇の機会をいただく。この機会は後々とても役だった。中旬にはマレーシア・クアラルンプールにてGWS2019- 6th International Conference on Gender and Women's Studies 2019に参加し、日本での複数の姓を持つ家族についての意識調査の結果を発表。クアラルンプールでは、キラキラのビルと小汚い建物の対比に驚かされた。下旬には、情報通信学会で討論者@白鴎大学

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7月:地域の夏祭りに子ども会で出店する係になっていたので、その準備でバタバタ。小学校の夏休みも始まり、猛暑に耐えうる弁当作り(たまには学童で購入)が始まる。夏休みは隙を見て家族旅行。またも北関東。

 

8月:東京大学の渡邉研究室の「記憶の解凍」プロジェクトに大きく衝撃を受け、その勢いで祖父母の写真のカラー化を進めまくった結果、左手に力が入らなくなりVDT作業を禁じられてしまう。下旬には、情報社会学会で司会を務める。また、理事を拝命。

labo.wtnv.jp

 

9月:イギリス・バース大学で開催された

14th International Conference on the Social Context of Death, Dying and Disposal(DDD) に参加し研究発表。事件・事故の犠牲者のソーシャルメディアと報道についての調査結果を報告した。死に関する研究がともかく多数集まっていて、基調講演では法医学と歴史の話でご遺体の写真バンバン出てくるし、レジストレーションの前は写真のような状況だし、エクスカーションは夕暮れ〜夜の墓地という、ひたすら死について考え続ける学会だった。また、日本は30度超えというのにバースは15度前後で、暖房がつかない学生寮ではブルブル震えながら寝る羽目に。

 

往路はBAのPYに乗ったのだが、びっくりするほど乗り心地がよかった。鉄道もバスも、アプリで事前に予約しかざすのみ。現金を全く使わずに移動できたが、一方でバッテリを切らしたら何もできない不安もあった。

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DDD14のレジストレーションの隣



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BA-PYの機内食

 

下旬には、EIP85/DPS180で石川県・金沢へ。ここでは、SNS利用状況と死後のデータの扱いの意向について報告。

 

10月:いろいろなイレギュラー発生で上旬は身動きとれず。台風凄まじかった。科研Bの第1回研究会@岡山にて弁護士・吉井和明先生のご講演をいただく。下旬にはFacebook APAC Safety Summit@バンコク。台湾のiWinの方々とも再会できて、教材についてお互いにupdate。國領研の後輩岩嵜さんとディナー。日経新聞の日曜版「死者のプライバシーは守れるか」で取り上げていただいた。

11月:延び延びになっていた静脈鎮静での歯科治療。昨年の神経直接麻酔注射がよほど恐怖だったのか、伝達麻酔しても痛みを感じるほどで治療にならず、鶴見大学病院に紹介状書いてもらった。記憶もふっとんですっきり。クロサカさんとの対談の機会をいただく。ここでスッと自分のやっていたことがまとまった。

12月:信用スコアに関して取材に応じた記事がダイヤモンド・オンラインに掲載。科研B第2回研究会では、千葉工業大学・藤田茂先生のご講演をいただく。25日夜は、初めてのラジオ生出演(Nらじ)。

 

本年は大変お世話になりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1:出張前日にぎっくり腰になり、やっと歩きながら出かけていった。チャイナタウンで足のマッサージを受けたら、劇的回復でその後はスタスタ。

2019年買ってよかったもの(生活編)

今年買ってよかったもの(生活編)。

1. noom

 3人目の産後からなかなか体重が落ちず、しかも健康診断的にも気になっていたので、昨年12月頃から無料体験を始め、1月から有料プランを購入したサービス。結論から言えば、2018年12月末〜4月の間で5kgの減量に成功し、現在もリバウンド無し、さらに1kg強減った状態でキープ出来ている。食習慣が根本的に変わったので、たまにイレギュラーで飲み会やケーキを食べることがあっても、すぐ体重は落ち着く。

有料プランだと栄養士や保健師の「コーチ」と話ができ、他のユーザとのコミュニティ機能がある。コミュニティはいまいち盛り上がらなかったが、コーチとのやりとりはイラッとくるのがまた効果的。たとえば、夜遅くに帰宅してから軽く食べたことを記録すると「あー・・そこでごはん食べちゃいましたか−」とコメントされる。「さすがにおなかすきますよ!」と返すと「ではフリーズドライのスープにしてはどうですか?」と提案。また、研究室でチョコをよく食べていた時期も「最近チョコにハマってませんか?」とコメント。相手が人間だからこそ、こちらもイラッとするし、それが行動に反映される。なお、食事の記録は緑・黄・赤に色分けされ、その日の活動状況で(Apple Watchからアクティビティは取られている)許容量も変わる。色分けは1ヶ月もやっていると完全に習慣として定着し、例えば昼食に関しては緑の食品を増やそうとした結果、

今まで:おにぎり2個(明太子・ツナマヨ)、カフェオレ、たまに唐揚げ

noon後:おにぎり1個(昆布か明太子)、野菜スープまたはサラダ

になった。他にも「赤」の食品であるマヨネーズやバターを食べなくなったら、むしろそれが普通になってしまった。

www.noom.com

2. 耐熱ガラス保存容器(イワキ)

 Twitterのライムラインでどなたかがオススメされていたのを見つけて、購入。ガラスは食品の臭いが着かないし、そのままオーブントースターで焼く料理にも使えるし、何か漬け込んでおくにも使えるし、とにかく便利。 

 

3. 酸素系漂白剤

何もかもが白くなった。茶渋で茶色のフィルターがついている状態だった茶こしも、12時間漬け込んだら写真の通り。マグボトルの臭いも消えたし、布巾は真っ白になったし、暇さえあればあらゆる物を漬け込みまくった。

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4. ペンギンの島

穏やかに癒やされる育て系ゲーム。一時期は激しくハマったが、今はのんびり育てている。ストレスが溜まったときにクールダウンできてよかった。

ペンギンの島

ペンギンの島

  • HABBY
  • ゲーム
  • 無料

apps.apple.com

 5.かかと用集中保湿ソックス

 冬になるとかかとがささくれ立って痛くて辛かったのだが、このソックスはいて一晩でかかとしっとり。ただ、洗濯機で洗えないので手洗いがやや面倒。

ドクターショール かかと用集中保湿ソックス 1足

ドクターショール かかと用集中保湿ソックス 1足

  • 発売日: 2019/09/12
  • メディア: ヘルスケア&ケア用品
 

 

 

 

 

 

 

 

カラー化写真が過去をつなぐ感覚

 

 

5年前の終戦記念日に、こんなエントリを書いていた。

oritako.hatenablog.com

先日のNHKスペシャル #あちこちのすずさん で、戦争中の生活の話の数々がシェアされていたが、祖母から聞いた話もそうだった。祖母は昭和の年号と同じ年齢。10代の女性にとって、夏場に風呂に入れないことは本当に苦痛だっただろう。先日も、94歳になる祖母が「戦争で、娘時代が台無しになった」と言った。戦後はいいこともあったでしょうと家族達がフォローしたものの、その対応でよかったのだろうかとずっと引っかかっている。終戦後すぐに結婚し子どもに恵まれた祖母には、まさに娘時代がなかったのだ。戦前の暮らしは常に白黒写真で、それを祖母や亡き祖父の話で補う程度、ずっと遠いものとしか感じられなかった。戦前と戦争中は、なんとなく地続きで、今とは分断したような感覚があった。でも、そうじゃない。

 

写真に色をつけてみることにした。

 

母方の、さらに祖父方と祖母方の白黒写真をiPhoneで撮ったものが手元にある。それをもとに、Web上でいくつかのAI Colorizeサービスを試した。手持ちの写真にもっともしっくりしたものは、シンガポールのサービスだった。

colourise.sg

これだけだと、全て着色されるわけではない。肌の色は比較的出やすいけれど、影になったところは灰色になるし、画面全体はまだ白黒が残る。手元での修正は、以下のサイトを参考にPhotoshopで行った。

ameblo.jp

途中まで色づいた写真を、LINEで母に送り、祖母に色を聞いてもらった。驚くことに、ほぼ90年前の、戦前に撮った家族写真の服の色を、祖母は覚えていた。他の写真も母に聞いたり、亡くなった祖父については当時の資料を調べたりしながら色づけを進めた。肌色は、私の子どもの写真から色を抽出して、それを乗せた。写真に色をつけながら、見落としていた細部をよく見るようになった。当時の調度品、和服そして洋服の質感。戦前の暮らしが一つ一つ、リアルに目の前に見えてくる。作業が止まらなくなった。

 

昭和六年と書かれた、若い母親と三兄弟の写真の一部。左からオリジナル、AI着色、手作業による補正。

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カラー化した写真

 三兄弟の長男は、海軍の技術将校となった。一枚、どうしてもうまくカラー化できない写真は、戦時中の彼の写真だ。肌の色をつけたところで、手が止まる。なんとも哀しい、形容できない表情。写真の20代の彼はー祖父は、94歳で亡くなる晩年、戦時中の話をするときに「俺は」という一人称で語っていた。曾祖母のことは「母が」と言っていた。軍と大学、企業の共同研究の話を、活き活きと話してくれたのは意外だった。存命の間に聞けてよかったと思う。

戦前、戦後の直後、戦後数年後と白黒写真をカラー化していると、現在と過去がすーっとつながる感覚を覚える。不思議だなと思う。カラー化した写真が完璧に当時を再現しているわけではないにもかかわらず。

 

写真をカラー化するきっかけは、先日(8月8日)に、「デジタル時代における戦争体験の継承」というイベントへの参加だった。かねてより、Twitter渡邉英徳先生のカラー化された写真の投稿は拝見していて、色が付いた写真がぐっと現在につながる感覚に驚いていた。渡邉先生と高校生、庭田さんによる「記憶の解凍」プロジェクトについてのお話で、写真を見せていただきながらの対話や、AIで色づけた写真を手作業で修正していくプロセスについての話が印象に残った。自分でも作業をしてみた。それを実感した。

古い写真のカラー化のプロセスで、幼児だった祖母、少年だった祖父がリアルに目の前に蘇ってくる。「先祖」や「祖父・祖母」という呼び名にひとくくりにされた個人が、男の子が、女の子が、一人一人浮かび上がる。これも記憶の解凍といえるだろうか。

 

labo.wtnv.jp

 

 

Yahoo!スコアを契機に考えた信用スコア問題点3つ

6月15日(土)の第3回情報法制シンポジウムで「信用スコア問題」のパネルに登壇する機会をいただいたので、ひとまず現時点でYahoo!スコアを契機に考えたことをまとめ直してみた。Yahoo!JAPAにとどまらず、あらゆるサービスに対して当てはまることとして。
 

1)利用者の理解と同意の問題

利用者は、規約を十分に読んで理解した上で、同意ボタンを押しているのかという問題。実は、私は2010年以降担当した全ての授業において「利用規約やプライバシーポリシーを毎回読んでいる人?」と質問をしてきたが、2019年6月時点で、「必ず規約を全部読む」と答えた人は12名だった。

 
そもそも、規約の文章は分量が多い。2005年時点でAOLの検索データから75のサイトを対象に調べたMcDonaldの研究(2008)では*1、プライバシーポリシーの分量は、最少で144Words, 最大で7,669Words(シングルスペースで、A4 16ページ分)とのこと。中央値でも 2,514words(6ページ)で、10分かかるという計算から、時給換算して「読むことのコスト」を計算している 。また、2010年には、Facebookのプライバシーポリシーが、アメリカ合衆国憲法よりも分量が多いというニュースが出た。
 
 現在、読みやすく整理された規約やポリシーが増えてきたとはいうものの、利用者は必ずしも注意を払って判断しているわけではなく、むしろ労力をかけずに選択行動をしているようだ。 Knijnenburgら(2013)の実証研究によれば*2 既に個人情報が入力されている状態では利用者は敢えてそれを消さないし、逆に空欄だからといって敢えて入力もしない傾向があるという。
オンになっていれば、敢えてオフにしない。逆に言えば、オフにしていたらオンにしてくれないということだ。

事業者側は「全部書いたから読んでね」「読んだ上で同意ボタン押したよね」という立場でも、利用者側は読まずに同意ボタンを押しているとしたら、その同意は実質的なものなのか、という疑問は拭えない。とは言っても、あらゆるサービスにおいて丹念に読み、判断することを人間に求めること自体が、既に人間の限界にあるわけで、ここの技術的支援は必要と考える。読みやすくするというKantara InitiativeのInformation Sharing Labelや、MozillaのPrivacy Icon*3 のように視覚的に分かりやすく表現する試みがあるにはある。
さらには、プライバシーポリシーの矛盾の検出(Such et al, 2016)*4 や、GDPR対応のために機械学習によってプライバシーポリシーのベンチマーキングする研究(Tesfay et al, 2018)*5 などがある

重要な判断をすべきところは、「読んだよね?」という建前ではなく、実効的に同意できる仕組みは必要だ。

2)サービスによる採点結果(スコア)はMy Dataではないのか?

 Yahoo!スコアにせよ、みずほ銀行ソフトバンクによるJ.Scoreにせよ、それらはサービス側が、利用者のデータに基づいて、利用者を採点した結果を使うものと言える。
 
採点対象となるデータ、すなわち利用者が提供する情報については、利用規約第2章のプライバシーポリシーおよび、そこからリンクされているプライバシーセンターのデータの取得ページに説明が描かれている。サービスを利用している以上、これに同意したことにはなっている。ここまではいい。
 では、これらのデータから生み出された情報(=採点結果/スコアを含む)についてはどうするか?
 
例を変えよう。たとえば、ECサイトで購入している服のサイズが大きいものに変わったという購買履歴と、ダイエットについての検索履歴からわかることについては? これは、履歴からの計算結果なので個人情報ではない?同様の行動をする人が何を買っているかという傾向から、ダイエット関連サービスがリコメンドされるなら、サービス向上として受け入れられる可能性は高い。実際、Amazonのリコメンデーションは大いに強みだ。しかし、その優劣を評価する仕組みとなったら?肥満からの健康リスクや審美性といった、人間が設計した評価基準に基づいた採点結果=スコアは誰のものになる?
スコアを「機械的に推定・算出」のアルゴリズムを作るのは、当然ながら人間であり、そのサービスの評価基準に基づく。あるサイトの基準では、先述の体重増加は健康リスクと評価され、別のサイトの基準では優良購買者と評価される可能性もある。この結果を、利用者自身が見られないというのは問題だと思う一方で、これが個人情報に該当しないのであればなるほどな、とも思う。ここは法的にどうなのか、法律のご専門の方に聞いてみたい。
 

3)スコアはどこまで振る舞いを変えるのか

話をYahoo!スコアに戻す。サービス提供者から見て好ましい行動をとるユーザは高スコアを得て、好ましくない行動をとるならば低スコアとなる−であれば、プラットフォームたるYahoo!JAPANは利用者たちの行動を相当にコントロールできることにならないか。たしかに、ヘイト投稿や明らかな嫌がらせといった違反行為の抑止にはなり得るかもしれないが、その他の行動はどうか。
たとえば、利用データに挙げられている「Yahoo!知恵袋」の「活躍度」とは、投稿数なのか、ベストアンサーの割合なのか、あるいは回答数を稼いだ質問なのか。そのパターンが見えてくれば、他社にも提供されるスコアを上げるために、利用者たちはサービスの使い方や行動を変えるかもしれない。その結果は、炎上や誹謗中傷のない穏やかなコミュニティかもしれないし、自分のスコアを上げることを優先するような利用かもしれない。また、常に監視されていることを意識しながら、抑制された自己開示しかなされないコミュニティかもしれない。
 
 それでも、実は、私個人はYahoo!スコアがついた状態でYahoo! JAPANサービスを使うだけならば、自分でそのスコアを確認できるという条件つきではあるが、それほど悪くないとは思っている。性別と年代のステレオタイプで判断されるのは、もううんざりだ。40代女性だから云々というよりは、オンラインの行動を見て評価したりリコメンドしたりして欲しい。知恵袋でベストアンサーとなるべくまっとうな回答を投稿したり、購入したもののクチコミを書いたり。もちろん、支払いの滞納もせず、違反行為もせず、個人情報も提供しており、ニックネームは使っているけれどいざとなれば社は本人を特定できる、という「ハイスコアユーザ」になって、Yahoo! JAPANサービスの恩恵を受けられるという話なら、まだありかもしれない思うのだ。
 
けれども、それはYahoo! JAPANというサービスの系の内に閉じている限りにおいて、だ。他サービスへのスコア提供について、事例紹介を見ると、スコアの高いユーザとマナーの良さや、仕事の積極性に相関関係があることがわかった、といったことが書かれている。

info-score.yahoo.co.jp

相関関係があるので、仮に私が「すごい知恵袋ユーザ」でYahoo!スコアが高くなったとして、その評価が、例えばランサーズで仕事をもらう上でも使われるということなのか? それは、コンテクストが違うのではないか。
 
このほか、ID連携時のアンバンドルの問題とか(Yahoo!スコアに関しては、藤代さんのブログの追記によればスコアをオフにした上でID連携すればよい、という話があるが)、サービスを利用しなかったり、匿名で利用したりした場合に利用者が不利益をこうむるのではないかといった疑問はあるが、ひとまずここまで。

*1:McDonald, A. M., and Cranor, L. F. 2008. “The Cost of Reading Privacy Policies,” A Journal of Law and Policy for the Information Society (4:3), pp. 1–22.

*2:Knijnenburg, B. P. ;, Kobsa, A., Jin, H., Hall, and Kobsa, Alfred; Jin, H. 2013. “Counteracting the Negative Effect of Form Auto-Completion on the Privacy Caluclus,” in ICIS2013, pp. 1–21.

*3:Privacy Iconは検索すると山のようにでてくるが、Mozillaの色分けはISO 22324 Societal security --- Emergency management --- Guidelines for colour-coded alerts に準じて緑と黄色で描かれている

*4:Jose M. Such and Michael Rovatsos. 2016. Privacy Policy Negotiation in Social Media. ACM Trans. Auton. Adapt. Syst. 11, 1, Article 4 (February 2016), 29 pages. DOI=http://dx.doi.org/10.1145/2821512

*5:Welderufael B. Tesfay, Peter Hofmann, Toru Nakamura, Shinsaku Kiyomoto, and Jetzabel Serna. 2018. PrivacyGuide: Towards an Implementation of the EU GDPR on Internet Privacy Policy Evaluation. In Proceedings of the Fourth ACM International Workshop on Security and Privacy Analytics (IWSPA '18). ACM, New York, NY, USA, 15-21. DOI: https://doi.org/10.1145/3180445.3180447

Yahoo!スコアへの強烈な違和感

6月3日プレスリリースされた「Yahoo!スコア」について、藤代裕之さんのブログ記事や、Facebookでの友人たちの反応から知った。

慌ててメールをあさったが、Yahoo! JAPANからこのサービス開始についてのメールは届いていない。しかも、初期状態ではスコア利用は「オン」になっていたため、敢えてプレスリリースを自分からチェックしない限りは、同意したものとして自分のスコアが作られ使われる状態にあったということだ。

慌ててアクセスして「オフ」にした際に、パートナー企業におけるスコアの利用について同じページに書かれていたが、さすがにオプトインで、同意したユーザのみとなるとのことだった。ID連携の際の同意でスコア利用となり、後から無効化のオプトアウトだった。

 

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about.yahoo.co.jp

Yahoo!スコアで利用するデータについては、ヘルプページに記載はされているが、藤代さんのブログでは確認できた「※なお、お客様ご自身のYahoo!スコアを確認できる機能についても、今後提供することを検討してまいります」という記述は、6月8日(土)の午後時点、以下のページでは見つけられない。自分のスコアも確認できない状況で、どうやってそのスコアの提供可否を判断しろというのだろうか?

www.yahoo-help.jp

 

そして、一企業によるこのスコアリングは、どういったものになるのか。カテゴリーと利用データを見ていても、疑問は多い。本人確認はまだしも、消費行動やサービス利用となると、ここには恣意的な判断基準が使われうる懸念が拭えない。たとえば、Yahoo! ブログで書いた記事が、一部の読者の批判を受けたとしたら?議論を巻き起こすようなものになったとしたら?他のユーザが意図的に悪い評価をつける、といったことおきたら?Yahoo!JAPANのサービスを批判したら?それらがすべてネガティブ評価となり、他のサービスを受ける上での不利益になるという可能性は、本当にないのだろうか。

 

自分でも確認できないスコアリングのために、ネット上では無難な言論しか表明できず、想定された「いい子」のユーザになることを求められるのかと、強烈に違和感を覚えているのが正直な気持ちだ。自分のデータは自分のものであるはずなのに。

 

ともかく、このサービスの存在、そしてオプトアウトは可能だということは、すぐにでも全ユーザに知らせるべきことだ。

 

追記:6月9日 10:50時点のスクリーンショット。やはり、自分に関するスコア確認についての記述はない。

 

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2019-06-09-1050スクリーンショット