ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

緊急事態宣言の頃の記録(4月〜5月)

書き残して置こうと思いながらも、あっという間に時間が経って2020年が終わりそうになっている。忘れる前に4月〜5月の記録をしておこう。

 

4月

4月1日。年度は替わったものの、いつ緊急事態宣言が出るのかどうかという雰囲気で、4月に再開すると言っていた横浜市の小学校も、再開延期し始業式の後に20日まで休校というアナウンスが4月3日には出た。小2の長男は、とても怒っていた。「ただ学校に行きたいのに、いきなり休みになってずっとなのか!」と。小学校での緊急受け入れは継続とのことで、週2〜3日は学校に行ってもらうことにした。
8日からはネットで小学校の授業動画配信もあった。一方的に配信されるだけだが、子どもは動画に「おはようございます!」と話しかけたりしていた。双方向ならよいのにと思いつつ・・。

マスクもアルコールもどこにも売っていない。子ども達から「マスクほしい」と言われて、ミシンを引っ張り出して、YouTubeでやり方の動画を検索し、ミニタオルやハンカチでマスクを縫った。この頃、ゴム紐も手に入らず、ストッキングを切ってギュッと引っ張ったものを代用にした。耳が痛くならないらしい。

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手縫いのマスク

先が見えず気持ちは落ち込むが、桜は満開。4日(土)は川沿いに桜を見に出かけてきた。SNSを見過ぎると自分のメンタルへの影響がよくないと判断し、スマホでの閲覧は30分の制限をかけた。

 

4月7日(火)、緊急事態宣言。翌日から横浜駅西口・東口の地下街はクローズと書かれていて、なぜか駆け込みでTopsのケーキを買ってしまった。翌8日(水)は保育園に預けて出勤したが、電車はガラガラ。この時点では横浜市では、保育園にも登園自粛の話は出ていなかったが、翌9日からは「保護者が在宅勤務の方」は保育園の利用を控えるようにと貼り紙が出た。この時点では、週2〜4日で登園予定を申請していた。在宅勤務ではあったものの、夫婦交代で3人見ながらの仕事には限界があった。市は原則開園としていたものの、横浜私立保育園園長会からも強い登園自粛のメッセージが出されて、登園はかなり難しくなった。

年度替わりで教務委員になり、しかも急遽オンラインで授業を進めることに加えて、新入生のケアをどうするか。公式LINEの設置や、ガイダンス動画の制作など仕事は山積みだった。新入生の履修パターンをいくつも想定して動画を作る。子どもが寝静まった夜にやるしかなかった。ガイダンス動画を完成させたのは、4月21日だったようだ。

 

仕事は集中しないとできないし、子ども達は不要不急で親に話しかけてくるし、こちらは集中どころではない。親同士は会議が重ならないように調整しつつも、それでも会議中の親の方に行こうとする子どもに「仕事をじゃまするんじゃない!!」と叱りつけてしまう。これでは子どものメンタルも削れていくのは分かるが、もうどうにもならない。いつか子を殴る蹴るという事態になってしまうんではないかと怖かった。親子が離れる時間も取れない。親も子も、息抜きができない。
 

4月中旬、飲食店のテイクアウトがどんどん増えてきたし、昼は外を歩いて買いに行くようになった。横浜駅は人が殆どいなかった。近隣のスーパーはチラシを廃止。麺類は米は「一家族○個まで」と制限つき。まいばすけっとはどこに行っても、紙類が不足していた。大変有り難いことにマスクが手に入ったので、保育園にいくらか寄付をした。保育士の皆さんは、自分で調達するしかなかったとのこと。自分は、サージカルマスクを一度使ったら軽く洗って干して、数回使っていた。布マスクは子どもが使っていた。とにかくマスクはどこにも売っていなかった。

 

4月22日、横浜市から強い登園自粛が要請された。まったく登園不可となると、本当に仕事もままならない。子どもが家にいる間は、午前中は少し勉強などをやらせ、昼前に空いた公園に連れて行き、戻って昼食、午後は動画やゲームなど好きに過ごさせつつ親は仕事という形だった。切羽詰まって保育園に相談したところ、週2日は登園OKとしてくれ、本当に本当に救われた。福祉機関としての有り難さが身にしみた。親子が離れる時間を持てたことが、なにより大きかった。
登園している子は、普段の1/3程度。皆が少しずつなんとか支えてもらっていたのだろう。それでも、この時期は仕事もきつくて休職したいと思い、夜仕事をしていると涙がボロボロとこぼれてきていた。

これを踏まえ、登園自粛をお願いする期間について、保育の対象とする方の保護者の職業 要件について、具体的にお示しいたします。なお、お示しする職業に当てはまらない場合な どで、真に保育が必要である場合については、個別に各園にご相談ください。

 

園児の両親がともに下記職業要件に該当するなど、ご家庭での保育が困難な状況にある場合。

※上記の職業要件に該当されている方についても、どうしても必要な日のみや時間短縮など 必要最小限のご利用にしていただきますようお願いします。

1医療関係従事者(医師、看護師、薬剤師、保健師等)

2ライフラインを支える職の従事者(公共交通機関、水道、ガス、電気等)

3福祉施設等の従事者(高齢者施設、障害者施設、保育所等)

4生活必需物資販売施設等の従事者(卸売市場、食料品売場、コンビニエンスストア等)

5その他社会生活を維持する上で必要な施設等の従事者(警察、消防、その他行政サービス、金融機関、運送関係等)

横浜市からの配布資料より)

 

一方で、子どもに気づかされることも多かった。4月下旬からは、上の子の習い事がオンラインになった。授業のやり方は大いに参考になる。また、ニュースを見ていると、二番目の子が「新型コロナで何人治ったの?何人死んじゃったの?あと何人治って何人死んだら、コロナ終わるの?」と聞いてくる。そうか、治った人の数も重要だと、自分が冷静にニュースを聞けてなかったことにも気づかされた。

 

スーパーの買い物は数日おきに私1人で行っていた。パルシステムもおうちコープも、個数制限がかかったり欠品が続いたりしたので、できるだけ調達できるものは自分で調達した。

 

緊急事態宣言中に誕生日を迎えた。子どもがケーキのデコレーションをしてくれ、夕食は普段は滅多に行けないイタリアンのテイクアウトをいただいた。

 

5月

連休と言っても日々変わらず。空いた時間に公園に子どもを連れて行き、身体を動かす時間は必ず取っていた。都内では公園が閉鎖されたというし、一部では公園の遊具もリスクあるから使わないように!と情報が回っていたけれど、幼児たちを何ヶ月も家に閉じ込めておいたら心身壊す可能性の方が高い。人から人にうつる感染症ならば、人がいない時間の公園に行こうと判断して、試行錯誤しながらも空いた時間帯の公園巡りをしていた。公園には液体石鹸の小さなボトルを持っていって、手洗いは欠かさなかった。

この頃から、次男が長男のオンライン講座を一緒に受け始め、小1の算数を勝手にやり始めたりしていた。

 

連休明けからは、大学はオリエンテーション期間。個別対応に追われていた。公式LINEをはじめ、問い合わせの対応をし続けていると仕事に終わりはない。対応するビジネスアワーを決めて、それ以降は翌日に回すようにした。加えて自分の授業の準備もある・・。保育園と小学校の預かりは週2〜3日。緊急事態宣言の延長に伴い、どうしても仕事の事情なら預かりますというトーンになり助かった。ただ、紫外線強くなり、私自身が37.4の発熱。猛烈なだるさがあった日があり、慌てて別室に引きこもった。そのまま眠り続けたらあっさり回復した。この頃、SITEの登壇のための予稿をなんとか書いていたが、とにかく頭が働かず苦戦した上に、腱鞘炎で激痛にボルタレンローションを塗りまくっていた。

 

5月半ば、マスクが市場に出始めた。ドンキホーテの前を通ったら、不織布マスク7枚入りで698円。

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ドンキの店頭


さらにはオンラインのオープンキャンパスの模擬授業録画があり、その資料も準備して出勤。髪のカットにも行けず、顔は疲れているが、それでも目の前に受講生を想定してライブで話すと自分も元気が出てくる。

 

5月22日(金)、本来は5月25日(月)発で予約していたSASHND-CPHの往復ともに欠航確定したので、返金手続き。予約したのは2月、この頃は「出張最終日は小学校の運動会と重なるなー、朝羽田着なら大丈夫かなー」なんて思っていた。もはや別世界の話。また、その後も本当に欧州はクリーンで安全な場所だと思い込んでいたので、日本からはNGと言われるのかな、とも思った時期もあった。

 

5月下旬はオンライン授業開始。しばらくは短い動画とPDFのみとして、徐々にZoomを部分的に導入することにした。通信量の逼迫が言われていて、「データダイエット」を心がけたのと、受講生の環境がわからなかったこともある。この頃になってようやく、学期はじめのイレギュラー対応の諸々が落ち着いていた。久々にAoEをやる余裕も出来てた。そして何より、

 

5月22日時点で神奈川県においては、早ければ5月25日をもって、指定が解除される可能性があるため、今後の保育所等の利用についての考え方をお示しします。

 

と、保育園についての文書が掲げられたことは区切りにもなっていた。ただ、一方で気持ちは沈んだままで、当時自分のFBにはこう書いていた。

 

緊急事態宣言が解除されて、子どもの小学校再開に向けたお便りがPDFで届き、保育園の登園予定を書く表も届き、次のフェーズなんだなと思うんだけど、なんか何もする気が起きなくてとにかく悲しい。よくわからん。何かが楽しみ、ということが感じられない。

 

緊急事態宣言が解除されてすぐ、実家に顔を見せにいってきた。両親と90代の祖母。いずれもハイリスク。解除後すぐならば、まだ人の往来は少ないしリスクも低いだろうと判断。屋外で会っただけだったけれど、貴重なタイミングだった。