ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

新型コロナウイルスの影響をどう受けたか(2月〜3月)

スペイン風邪の時期に個人が遺した日記や記録が、今読み返されている。現在の新型コロナウイルスに関して、市井の人間は何を思い、何に苦しみ、どう生活していたのかはどんな形で残されるのか。相当数の人々が、日々の思いをSNSで発信し続けているものの、それこそ死後まで残るとも限らない。でも、残しておくべきと思う。

40代、大学教員(教務および広報担当)、未就学児2人・小学生1人の母親という自分が、どう過ごしてきたか、いったん2月〜3月を振り返ってまとめてみた。

2月

第1週

仕事は通常通り。3月下旬のラトビア出張のために、ヘルシンキ経由のYとワルシャワ経由のPYでは後者の方が安いけれど、MCT気になるなーどうしようかなーとFBに書き込んだりしていた。

 

小学生の息子が、クラスで流行していたインフルエンザBに罹患。予防接種してあったけれど、連日40度の発熱。インフルエンザ脳症が怖くて目が離せない。兄弟とは家庭内で隔離した結果、他の感染者は出ず。じきに学級閉鎖になった。学童も行けないし調整しなきゃ、というやりとりがママ友LINEで飛び交う。仕事は、子どものインフルエンザ対応で調整しつつもいつも通り。

1月にはAmazon定期オトク便で届いていたマスクは、2月は品切れで届かなかった。花粉症の時期は常に多めにストックしていたので、この時点で60枚入りが5箱はあったので、まあどうにかなるかなと思っていた。

 

第2週

仕事は通常通り。

 

PTAの集まりにも参加した。横浜に暮らしているので、ダイヤモンドプリンセス号のことが気になるが、生活に変化は無し。横浜そごうで開催された、人間共生学部の共生デザイン展に出かけて、子ども達もワークショップに参加。デパートに家族で行くことも通常通りだった。

花粉症がつらいと思い始めていた。

第3週

仕事は通常通り。都内での研究会にも参加。まだ至近距離でディスカッション。花粉症なので私はマスクをしていたが、マスクをしていない人も多かった。

3月下旬にラトビアで開催される予定だった国際会議からは、「レジストレーションしてね」と連絡が来るし、欧州は通常通りと思っていた。「不要不急の海外渡航は避けるべし」と職場で通達があったが、国際会議の出張はどうなるんだろう?と迷っていた。その時期は、欧州がCOVID-19汚染国としての日本からの入国を許すかどうかだよね、という論調。一方で、金沢大学で開催予定だった、情報処理学会の全国大会は、現地開催中止とのお知らせ。

ダイヤモンドプリンセス号から下船始まり、横浜駅で解散とのことで、周囲も少し気にし始める。みなとみらいで乗ったタクシーでは、「乗降の度にアルコールで消毒している」と言われた。ブッフェ形式の会食も普通に開催されていたし、参加もした。

第4週

仕事のリスケジュールが入り始める。RISTEX関連で、中学校での実証をお願いしていたものが全て直前でキャンセルになった。外部者の訪問を受けられない、という理由からあっという間に全国一斉休校に飲み込まれた。本学でも卒業式の中止が決定された。

一方で、25日にはラトビアで3月に開催される国際会議のプログラムが送られてきた。

 

この週の前半にあった、小学校の授業参観と懇談会は予定通りだった。昇降口にアルコール消毒液が置かれ、マスクで参加した。一方で、北海道では一斉休校が決定。と思ったら、いきなりの全国一斉休校ニュースを夕刻TVで見て、文字通り立ち尽くした。保育園は開くとのことで、いったんは安堵したものの、あまりに乱暴な決定プロセス、そして社会を支える人達は親でもあるということが無視されているという感覚に、むちゃくちゃ怒る。しかも、学校より学童の方が危ないじゃないかとか。当時のFBにはこんなことを書いていた。

そもそも休校は感染防止に役立つのか。
小学生ならば学童保育を開けるというが、学童のスペースは学校ほど大きくなく、子どもたちが詰め込まれる自体になれば飛沫感染接触感染のリスクは高まるのでは。祖父母に預けるなら、重篤化しやすい高齢者のリスクは?

さらには、職場に低学年の子を連れて行くとなれば、本末転倒だ。休校の決定が、デメリットやリスクを鑑みても有効だという証拠の上に成り立ってるのかどうか。学校以外の場所に行くだけではないのか。親は相変わらず通勤電車での感染リスクにさらされたままで。


なお、この時期、うちにあるのを忘れて1パックずつ余計にトイレットペーパーとティッシュを買ってしまっていた。結果的にこの行動に救われた。

3月

 第1週

入試などの用務は通常通り。出張が無くなった分、原稿を書く時間が取れた。

 

3月1日の時点でラトビアは日本からの入国後は健康観察をすること、という制限が発表された。子ども達からも「お母さん、ヨーロッパ行ったらコロナ!っていじめられるよ」と言われてしまった。ニュースでそのような映像があったからだろう。国際会議の出張を取りやめることにする。航空券以外の旅費とレジストレーション費用分を繰越申請(3月6日まで、コロナ理由の繰越〆切が延長された)。会議事務局にキャンセルの連絡をするが、返事がなかった。LOTポーランド航空からは、いまの状況では入国禁止ではないため、キャンセルしても払い戻しは無いと言われた。

 

2月28日から,日本,中国,韓国,シンガポール,イラン,イタリアのロンバルディア州ヴェネト州エミリア=ロマーニャ州及びピエモンテ州からの渡航者に,14日間自身において健康状態の観察(1日2回の検温を推奨)を求める。その期間中に,感染が疑われる症状(高熱,咳,喉の痛み,呼吸困難等)が発生した場合,可能であれば家族や他の人との接触を避け,速やかに113(救急番号)に連絡し,症状,症状の発生している期間やコロナウイルス感染地域への渡航歴を伝えることを求める。その後,病院から医療従事者が派遣され検査が行われ,検査結果は24時間以内に本人に通知される(注:症状の無い方に対し,当局等への健康状態の報告を義務づけたり,行動の制限を課すものではない。)。

(3月4日時点の安全情報より:ラトビア

一方、5月にデンマークで開催予定の国際会議については、英国の参加者から「大学が出張許可を出さない」という連絡があり、他の参加者たちもそれに続いている。ん?もしかして欧州も危ない?とうっすら思い始める

 

店頭からトイレットペーパー、ティッシュ類が姿を消す。金沢八景駅ビルがオープンしたが、京急ストアには在庫なしの貼り紙。

 

休校1週目。低学年は「緊急受け入れ」として、就労などの理由で子どもを教室に受け入れてくれることになった。最初は遠慮して行かせず仕事場に連れて行ったりしたが、明らかに子どもが飽きている。おそるおそる行かせたら、友達とは会えるし、好きな勉強をしても叱られないしで大いにリフレッシュしていた。割り切って、仕事のときは利用することにした。保育園は通常通りだが、延長保育は控えて欲しいと呼びかけがあった。

横浜市教育委員会からは、屋外での運動を推奨するお知らせも届く。人との接触が少なければ大丈夫と示されていたので、人が少ない公園へは連れて行くことに。

 

スポーツジムを休会した。代わりに、自宅で子ども達と一緒に「筋肉体操」を始めた。筋肉痛バキバキで翌日歩くのに難儀した。

 

第2週

年度末の予算執行や精算、そして在学生や新入生のガイダンス検討などの仕事が山積み。自分の研究に関しては、3月下旬に開催予定だった研究会を、遠隔開催とすることを決めた。

3月19日開催予定だった、ラトビアの国際会議も延期がアナウンスされた。LOTポーランド航空は、週末になってようやく、延期・バウチャー・返金の選択ができるようになったが、ラトビア行きはまだその対象外。ぎりぎりまで待つことにした。

また、5月26日開催予定だったデンマークでの国際会議は、3月11日に1年延期のお知らせが届いた。この時点では、5月下旬には日本では収束してるかな、欧州はその頃まだ流行開始くらいかな、なんて思っていた。

 

一方で、ボストンで2月26日〜27日に開催されたカンファレンスで、175人中70人がCOVID-19に感染したというニュースを読み、アメリカにも既に広がっているのでは・・と思い始めた

www.bostonherald.com

在宅で仕事をすることが増えたが、ランチはむしろ近所に出かけるようにしていた。どうしても行き詰まると、読むべき資料を持って近所のカフェに行ってみたり。徒歩圏に、個人経営のカフェをいくつも見つけた。買い物時にはローリングストックを意識して回していた。もともと、子ども達が病気を繰り返していたときのオペレーションに近い。

 

横浜市教育委員会からは、24日まで休校延長し、25日に終了式はやるとのこと。子どもの習い事は、ほぼ休みになったが一つだけは教室で継続。学童は休ませて学校の預かりだけを利用した。保育園は散歩が増えた。在宅での仕事が増えてきたので、登園時刻を9時にして、迎えも17時として時間を短縮した。結果、仕事は夜にやるように・・

 

週末に、横須賀のソレイユの丘に子ども達を連れて行った。広い公園で野菜を収穫。複合遊具には、午後から子ども達が山のように集まってきたので退散。さすがにオープンエアでも、あそこまで密集するのは、コロナに限らず何かうつしあっても怖いな、という感覚だった。一方で、休校でそれだけ子ども達が押さえつけられていて、親たちは必死で手足を伸ばせる場所を探して連れて行くんだよな、とも痛感した。


第3週

入学式中止、オリエンテーションは実施を予定するが変更の可能性ありと、大学からアナウンス。

FBに「大学での遠隔の学びを続けるぞ」というグループを作った。学内・学外でどのように授業や学生対応を組み立てていくかの情報収集に本腰を入れ始める。

 

週明けには、LOTポーランド航空運休のお知らせが出たため、あっさり全額返金。3月12日時点ではNGだったのが、14日時点で一気に運休になった。欧州の急激な変化を感じた

週末の三連休前に、休校の継続はしないというニュースでふっと気が楽になったが、一方で大学の授業が再開したら自分の身は守れるだろうか、親が罹患したら子ども達はどうしようかとか心配事が具体的になってきた。三連休は暖かかったし、これは人が集まるだろうと予想して、時間をずらして近所の公園に出かけるようにした。

 

第4週

 

卒業式が中止になったので、教室で学位記交付。卒業生たちと最後に会うことができた。この時期に送り出す側としては、とにかく元気でいてくれと思うばかりだった。

刻々と変わるスケジュール対応の仕事に追われ始める。ゼミの学生たちに簡易アンケートをとって通信環境や学習についての感触を得る。

 

科研の研究会を、関内メディアセンターで開催。招待講演者の古田雄介さんと私が会議室に対角に座り、他の参加者はZoom経由。

 

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大学から、3月27日(金)に、春学期の授業開始は5月14日(木)と告知あり。

 

週の前半は、なんとなく緩んだ空気はあったと思う。学童でも、少し遠いところの大きな公園に出かけていった。なんとなく、まだまだ長いはずだという感覚があって、家から出られなくなったときの食料備蓄を考えて、常温で保存できる豆乳やロングライフ牛乳をまとめて購入。その後、3月の27日(金)〜からの引き締めの呼びかけ。週末は予報通り雪が降って外気温は2度だった。スーパーが混雑する直前に、どうにか必要なものは買い込んであった。翌週からの学童での外出は取りやめになった。この頃、「今の東京は2週間前のNY」という記事を目にするようになった。いろいろと考えてしまい、夜うまく眠れなくなった。銀行に行くと「離れて並んでください!」と声をかけられた。

 

横浜市内の小学校は、3月30日の時点では、半日程度の短縮授業で再開予定と言われていた。長期化するなら、せめて行けるときに行ければと思っていたので、その意思決定は有り難いと思っていたが、Twitterを眺めていると相当の反対もあったようだ。