ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

カラー化写真が過去をつなぐ感覚

 

 

5年前の終戦記念日に、こんなエントリを書いていた。

oritako.hatenablog.com

先日のNHKスペシャル #あちこちのすずさん で、戦争中の生活の話の数々がシェアされていたが、祖母から聞いた話もそうだった。祖母は昭和の年号と同じ年齢。10代の女性にとって、夏場に風呂に入れないことは本当に苦痛だっただろう。先日も、94歳になる祖母が「戦争で、娘時代が台無しになった」と言った。戦後はいいこともあったでしょうと家族達がフォローしたものの、その対応でよかったのだろうかとずっと引っかかっている。終戦後すぐに結婚し子どもに恵まれた祖母には、まさに娘時代がなかったのだ。戦前の暮らしは常に白黒写真で、それを祖母や亡き祖父の話で補う程度、ずっと遠いものとしか感じられなかった。戦前と戦争中は、なんとなく地続きで、今とは分断したような感覚があった。でも、そうじゃない。

 

写真に色をつけてみることにした。

 

母方の、さらに祖父方と祖母方の白黒写真をiPhoneで撮ったものが手元にある。それをもとに、Web上でいくつかのAI Colorizeサービスを試した。手持ちの写真にもっともしっくりしたものは、シンガポールのサービスだった。

colourise.sg

これだけだと、全て着色されるわけではない。肌の色は比較的出やすいけれど、影になったところは灰色になるし、画面全体はまだ白黒が残る。手元での修正は、以下のサイトを参考にPhotoshopで行った。

ameblo.jp

途中まで色づいた写真を、LINEで母に送り、祖母に色を聞いてもらった。驚くことに、ほぼ90年前の、戦前に撮った家族写真の服の色を、祖母は覚えていた。他の写真も母に聞いたり、亡くなった祖父については当時の資料を調べたりしながら色づけを進めた。肌色は、私の子どもの写真から色を抽出して、それを乗せた。写真に色をつけながら、見落としていた細部をよく見るようになった。当時の調度品、和服そして洋服の質感。戦前の暮らしが一つ一つ、リアルに目の前に見えてくる。作業が止まらなくなった。

 

昭和六年と書かれた、若い母親と三兄弟の写真の一部。左からオリジナル、AI着色、手作業による補正。

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カラー化した写真

 三兄弟の長男は、海軍の技術将校となった。一枚、どうしてもうまくカラー化できない写真は、戦時中の彼の写真だ。肌の色をつけたところで、手が止まる。なんとも哀しい、形容できない表情。写真の20代の彼はー祖父は、94歳で亡くなる晩年、戦時中の話をするときに「俺は」という一人称で語っていた。曾祖母のことは「母が」と言っていた。軍と大学、企業の共同研究の話を、活き活きと話してくれたのは意外だった。存命の間に聞けてよかったと思う。

戦前、戦後の直後、戦後数年後と白黒写真をカラー化していると、現在と過去がすーっとつながる感覚を覚える。不思議だなと思う。カラー化した写真が完璧に当時を再現しているわけではないにもかかわらず。

 

写真をカラー化するきっかけは、先日(8月8日)に、「デジタル時代における戦争体験の継承」というイベントへの参加だった。かねてより、Twitter渡邉英徳先生のカラー化された写真の投稿は拝見していて、色が付いた写真がぐっと現在につながる感覚に驚いていた。渡邉先生と高校生、庭田さんによる「記憶の解凍」プロジェクトについてのお話で、写真を見せていただきながらの対話や、AIで色づけた写真を手作業で修正していくプロセスについての話が印象に残った。自分でも作業をしてみた。それを実感した。

古い写真のカラー化のプロセスで、幼児だった祖母、少年だった祖父がリアルに目の前に蘇ってくる。「先祖」や「祖父・祖母」という呼び名にひとくくりにされた個人が、男の子が、女の子が、一人一人浮かび上がる。これも記憶の解凍といえるだろうか。

 

labo.wtnv.jp