ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

被害者報道とソーシャルメディア

事件や事故で亡くなった方について、どう報道するか。以前から疑問に思うことはあった。

被害者について詳しく報道されすぎる。

実名報道する対象が違う気がする(2008/04/10)
実名報道する意味(2008/04/12)

先日の軽井沢スキーバス事故、痛ましい事件ではあったものの、それぞれの方々についてあまりに詳細に報道されること、Facebookでの写真までテレビで報道されることには違和感を持った。
(実はこれ以前にも、新幹線で焼身自殺に巻き込まれて亡くなった女性のFacebookが、夕方のニュースに出てきたときにも違和感を覚えたのだったが)

考えたことは、二つある。

まずは、ソーシャルメディアのプライバシー設定について。
たしかに、Facebookで公開設定となっている写真ならば、使用することに一応問題はないのだろう。一応は。しかし、公開設定の写真が、本当に全世界に公開され、テレビでも報道されることまで想定したものかは疑問だ。私が以前学生達と調査した結果では、あのアイコンが全体公開だと正しく理解している学生は28%程度であった。*1 友人や知人の範囲を前提に個人的な写真を掲載している可能性は否定できない。

自分の死後、自分のアカウントをどうするかという扱いについては、GoogleFacebookでは自分の意図を反映させることができるようになっているが、マスメディアに利用されるというのは、それとは違う角度で考える必要があるだろう。インターネットにそぐわない感覚はあるかもしれないが、それこそ「無断転載禁止」に近いpermission設定だろうか?

もう一つは、故人/死者のプライバシー権、あるいは尊厳について。
個人情報保護法は生存者のみを対象としている。そもそも、故人については、判断がしようもないとも言えるだろう。仮に生前、故人が「これは公開したくない」と希望していなかったとしても、もう異議を唱えることはできないのだ。
故人にプライバシーはないとしても、故人の尊厳ということを考えると、「後ろめたくないことならいいだろう」とは言えないように思う。定義が難しい言葉ではあるが・・。
では遺族はどうか。友人たちはどうか。故人につながる人達のプライバシーという観点になると、なんらかの対処はできそうにも思うが、故人と遺族でその意図も意味も違っていた場合には簡単ではないだろう。

*1:まだアイコンのみだったころの調査。現在はアイコンに説明が付記されている