ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

産後と似非科学

偽の冷凍母乳通販の問題を巡って、母乳で育てることへのプレッシャーに苦しむ母親の記事を散見するようになった。

冷凍母乳を通販で買う、というのはかつての「もらい乳」や「乳母」とは全然違う。その中身が母乳かどうかも疑わしい。粉ミルクであれば、食品メーカーによる品質が保証されたもの、かつ密閉されたものが手に入るにも関わらず、なぜそんな危険なものをを乳児にあげられるのか?…と考えられるのは、頭が動く状態にあるからこそ。母乳じゃないとダメと追い詰められ、しかも心身まともに動かない疲労困憊状態では、そんな精神状態に陥るのは全然珍しいことではないと思う。ちなみに、私も最初の子のとき、母乳は全然足りなかった。十分追い詰められていたと思う。子どもも上手く飲めず、頻回授乳で私も疲れ切り、自分が熱を出すとますます出なくなった。7週で職場復帰したのがむしろ幸いした。子どもは保育園へ。それでも夜の頻回授乳は続けていて、常に風邪を引いてぼろぼろの状態だった。でも、日中は保育園でミルクを飲んでいるわけで、「あ。ミルクでも健康じゃん」と気づくきっかけになった(実際、早く卒乳した私の子は保育園ほぼ皆勤で元気にしている。)

母乳については、いわゆる「母乳神話」と呼ばれるプレッシャーと、「似非科学」に振り回されることとがあると思う。後者についてちょっと書いておきたい。

妊娠、出産から育児に至るまで、いわゆる似非科学を目にする機会は多い。冷静に考えれば「おかしい?」と思うことが信じられ、流布され、当事者を追い詰めてしまう。どうしても、妊娠や出産は、スピリチュアルなことが介入しやすい。それが心を支えることがあることは否定しない。
産婦人科医の宋美玄先生の本を読んでみると、たとえば、妊娠中おなかに話しかけたり、胎教にいいと音楽を聴かせたりするのは・・・実は、聞こえていないらしい。驚き。母親の大声くらいしか胎児には届かず、通常の声や音楽は聞こえないとか。それでも、それで母親がリラックスしたり、赤ちゃんへの愛着がはぐくまれるならそれでよいのだ。

産婦人科医ママの妊娠・出産パーフェクトBOOK-プレ妊娠編から産後編まで! (専門医ママの本)

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NATROM先生の本でも「科学の範囲外だから悪いと言っているわけではない」と、いわゆる「ファンタジー」について言及されている。ただもちろん、「医療者は科学とファンタジーの区別を明確につけなければならない」のではあるが。

「ニセ医学」に騙されないために   危険な反医療論や治療法、健康法から身を守る!

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そして産後。産後すぐの時期は、体は大きなダメージを受けているにもかかわらず、ほとんど寝られないふらふら状態。「交通事故に遭った直後に、プロジェクトがデスマーチ。仕事も休めず寝ることもできない状況」に例えられるだろうか。やっと寝られると思っても、1時間おきにシステムがアラートを飛ばす。自分以外に代替要員もいない。無視していたら、対象は死んでしまう。そんな状況で冷静にまともな判断するというのは、ものすごく難しい。ぼーっとした頭で、スマホを片手に検索して、そこで目にしたものをついつい信じてしまう。同時に、「お母さんなんだから!」というプレッシャーももの凄く強い。情報の選択にも強くバイアスがかかる。

メディアリテラシーを大学で教えている私ですら、そうだった。産後すぐ、母がカレーを作ってくれたのを「カレーを食べると母乳が辛くなっちゃうんだって!」と言った。「ばかね、スパイスがそのまま出てくる訳ないでしょ!」と笑われた。「おモチを食べると詰まるんだって!」と言ったら、90近くになる祖母が「戦後は『お乳が出るように』とお餅を分けてくれたものよ」と言った。あれれ?と思った。睡眠不足でくたくたになった私に、母が生クリームたっぷりのケーキを作ってくれた。乳製品は詰まるらしい、と聞いていたので不安だったが、全然詰まらなかった。むしろ元気になった。

後日、小児科医の森戸やすみ先生 の本を買って、「そりゃそうだ!」と自分で大笑いした。

小児科医ママの「育児の不安」解決BOOK‐間違った助言や迷信に悩まされないために

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食べたものは、消化管で消化され、デンプン→糖、タンパク質→アミノ酸、脂肪→脂肪酸とグリセロールに分解される。その後は、糖とアミノ酸は肝臓で代謝され、肝静脈から心臓へ。脂肪も再合成されて心臓へ。ここまでは、学校で習ってきたはずのこと。食べたものがそのままの形で血液になるわけじゃないし、母乳は血液から作られるわけで、カレーがそのまま出てくるなんてあり得ないわけだ。本では、北欧の母親とアフリカの母親の母乳の分析結果がほぼ同じだったという話も紹介されていた。人体の恒常性。それに、そもそもお餅がそのまま乳房で詰まるわけないじゃん!

それでも、私の周囲には「うなぎを食べると乳腺炎になる。食べたものは絶対影響する!」「ケーキ食べたらだめだった」「カレー食べたら母乳が不味くなったみたい」「和食じゃないとだめ」という人はまだまだ居た。きっと相関関係はあったんだろう。でも、因果関係は違うのでは?と思うようになった。

たとえば、普段から和食の粗食にしている人が、うなぎやケーキを食べるというのはどういうシーンだろうか?いわゆる「ハレ」のシーンではないだろうか?人が集まったり、お出かけしたり、日常と違うことをしたことが乳腺炎につながることは可能性としてあるのではないか。授乳間隔が空いてしまったり、疲れてしまったり。普段食べ付けないものを食べて、お母さん自身が体調を崩してしまったのかもしれない。また、赤ちゃんも独立した生き物なので、飲みたくないときもある。たまたま、赤ちゃんの気分と食事にメニューに関連がありそうに見えてしまった、ということもあるかもしれない。などなど、実は別のことが効いているのに、「食べたから詰まった」と考えてしまうと、本当の原因を見過ごしてしまうのではないだろうか。

じゃあどうすればいいのか。東日本大震災のデマについて荻上チキさんが書かれていた本には「ワクチン」が大事と書かれていた。
災害時も、心身は極限状態。やはり情報の真偽を判断するのはとても難しい。前もって「こういう情報は危ないかも?」ということを知っておくことが、大事だということだ。妊娠や出産についても同様ではないかな、と思う。心身に余裕のあるときに、少しでも「そうなのかな?」と調べておくことが、いざとなったときに役立つように思う。

検証 東日本大震災の流言・デマ (光文社新書)

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