ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

2011年が終わる

公私ともに凄まじい一年だった。

1月に担当授業が終わるやいなや、アメリカ・ジョージア州アトランタ近郊にあるケネソー州立大学に飛んだ。Visiting Assistant Professorとして一学期間、3科目担当するフルタイムのポジションをいただいたのだ。初回の授業では逃げたくなった。母国語ではない上に、進め方も違う。暮らしも落ち着いていない。飛び込んで挑戦したようなものだ。研究室を一室いただき、住まいは4人のルームメイトと学内の一軒家をシェアして暮らした。

2月に入ると、アメリカでの暮らしもどうにか軌道に乗ってきた。免許・車の取得に自分で運転していかないとならないのが怖い。担当していた講義は2コマ連続(約3時間)で、終了が23時前にもなる。帰宅してから居ずまいを整えて、IT戦略本部の規制・制度改革専門調査会Skypeで参加することもあった。ルームメイトたちに、現地で入手できた材料で寿司を振る舞ったこともある。

3月には一週間の春休みがあった。この機会に西海岸に飛び、Google本社やStanford大学などを訪ねる。旧知の友人たちにも会うことができ、いい旅行だったと帰路につく前夜、ホテルで震災のニュースを知った。日本には電話はつながらなかった。かろうじてTwitterで連絡をとり、Skypeで家族の声を聞いた。NHKとCNNの映像、TwitterのTLを見ながら、体感もできない、関わることもできない、それでいて情報だけが入ってくるという悪い夢さながらの時間が、のろのろと過ぎたことだけを覚えている。ルームメイトたちが私をPCとテレビから引きはがした。地震津波原発と続くニュースに、何に対してではないが祈ることしかできなかった。

4月に入ると学期末大詰めに近づく。一週間の授業をオンライン講義にして、ボストン、ニューヘイブン、ニューヨークと旅をした。今年はイースターの週末が、日本時間での私の誕生日!時差があるので二度も祝ってもらい、ルームメイトたちと羊を焼いてパーティーをした。その傍ら、生活をたたみつつ、成績付けという大仕事があって息もつけない日々だった。
この裏庭に、どれだけ人が立ち寄ってくれただろうか。あり合わせで美味しいものを作り、ルームメイトが選んできたワインをいただきながらときには夜中まで語り合う時間。

5月に帰国。しばらくは「すみません」という言葉が出てこなかった。日常生活すべて英語だったので、とっさの言葉が口からでない。津田塾のゼミナールを遅れて開講。あらゆるところが薄暗く、節電を実感する。

6月には、Trust2011での講演の機会をいただき、ピッツバーグへ。そのままボストンにも飛び、MITで開催されたNSTIC Privacy Workshopに参加。identityに関して、日本がスルーされているのではという危機感を肌で感じる。

7月は諸々の遅れを取り戻す時期だったように思う。8月には科学教育学会に実行委員として&発表者として&講演者として参加した(注:非会員です)。夏は、いろいろなことを立て直したり、見直したりする期間だったと思う。

9月は、北海道、信州と旅した後、ヘルスコミュニケーション学会に参加のため博多へ。家族がこの月に学位を取得。学位授与式にともに参列した。短い期間に、仕事を持ちながらよく成し遂げたと尊敬する。

10月は国際会議でギリシャへ。まさにストとデモの真っ最中。意外にのんきでしたたかな一面も見てきた。帰ってすぐに経営情報学会で松山へ。渡米前にご挨拶できなかった先生方とも、Facebookを見ていたよ!とお声がけいただいて話が出来た。

11月に、初めて被災地に伺った。石巻南三陸町、山元町。何もなくなった光景には今も言葉がない。記憶にある閖上がまったく違う場所になっていたこと、1階だけが黒く抜けた家、本当に海まで見通せてしまう、駅だった場所。

12月からは走り抜けた気がする。OpenIDサミット、属性之道、ICIS@上海、知識共有@仙台と続いた。人との出会いは楽しいが、一方でそろそろ、これらのインプットをまとめたいと感じるようにもなってきた。

感謝とともに。