ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

東北訪問(宮城県)

震災後初めて宮城県を訪れた。親戚の縁があったり、父が2年前まで名取で仕事をしていたり、折々に訪れていたところではある。今回は、現地で既にさまざまな活動をされている田代さん(ニフティ)のご案内で、初日はいろいろまわることになった。新幹線で仙台で降り、関西からの合流組を迎えに仙台空港へ。


空港の周辺。土台の跡は、かつて建物があった場所。


車窓から、道ばたに乗り上げた船が見えて驚く。


これだけ大きな船が流されてきたのか。



閖上(ゆりあげ)。海まで見渡せる。記憶にある場所とは違う。。

その後、石巻へ。


中央分離帯に、鯨大和煮の巨大缶詰が転がっている。明日、移動するという。



遠目には、一見、多くの民家が残っているように見える。けれど、よく見ると、建物の1階がからだった。



がれき。近くで見ると、つぶれた車と、木と、生活を思い起こさせるものが混ざっている。


90度に折れ曲がった。


堤防の外と内。外側の海面のほうが高い。
今日は大潮。水位が高いため、低くなってしまったところが水浸しになっている。


水産加工工場。


水鳥の大群。そういえば、こちらに来てから鳥の群れが多い気がする。


看板が鮮やかで、きれいで、そして津波が突き抜けた1階はからのまま。

海岸近くのこのあたりは、信号も動いていない。電気が来ていないのだろう。道を渡ると信号も点灯し、人が住まっている住宅もあった。
少し走って、「石巻ボランティア支援ベース絆」を訪問。印象に残ったのは、流されてきたものの保存と、家族への手渡しの話。集められる場所では、年内までと区切りをつけたけれど、心の整理がつかずに、まだ家族の名前が書かれた、残されたものを見ることができない人たちもいるという。

北上して、南三陸町へ。山道を走るうちに、家の土台だけが残るあたりになった。津波がここまで来ていたのだ。海からは距離があり、山に囲まれている場所に津波が来るとは、私には想像できなかった。



大潮で冠水する道。これ以上進めない。海はもっと先。けれど、山の中からここまで、本当に何もなかった。土台だけが残っていた。

プレハブで営業されている、大森屋商店で飲み物とお菓子を買って帰路についた。いち早く、たばこやパンを販売されていた店だ。今は、お酒、野菜、雑誌なども置いてある。大潮の満潮時、私たちが着く30分前まで駐車場は水をかぶっていたようだ。

南三陸町では、星がくっきり見えた。数年ぶりに天の川を見た。