ペンギン日記(旧akoblog)

identityやprivacyに関心を持つ大学教員のブログ。20歳の頃から「ペンギンみたい」と言われるのでペンギン日記。

実名vs匿名議論をレビューした:政策情報学会にて統一論題発表

政策情報学会第4回研究発表大会慶應義塾大学三田キャンパスに参加。普段プラットフォームデザイン・ラボの会合でも使っている東館が会場だった。

〔統一論題発表〕「転換期の政策創造」
折田明子(中央大学大学院)〔11 時25 分〜12 時00 分(質疑応答5 分)〕
「インターネット利用の安心・安全に関する構造的理解への転換:匿名性を例として」

また匿名性である。
いったいこの秋は何度、インターネットと匿名に関する研究発表をしているのだろうか。今回は、政策という観点からの整理を試みた発表だ。「ネットでは実名を守るべき」とか「子供はネットを使うな」とか、どうもインターネット利用上の問題は「黒か白か」の対立構造で語られがちである。しかし、実際には同じ影響が違う結果をもたらすことは多々あり、例えば匿名ゆえのネットいじめと、匿名ゆえにいじめを相談できるという二つの可能性が存在する。にもかかわらず、「匿名のプロフ(プロフィール)」といった一見矛盾した表現すら存在する。

…という問題意識で、総務省の研究会や報告書をレビューしていくと、

とくに、サイバースペース匿名性の高い空間として認識され、極端な場合、ばれなければ何をしてもいいという安易な発想すら助長する傾向を持っている。
(中略)
また、ユビキタスネット社会で全ての人が個人ポータルを持ち、コミュニティの場を利用して個人間で情報をやりとりする場合、現在のような匿名性の高いものだけではなく、利用者の顕名性又は特定性が強く求められる。
(中略)
サイバースペース上で実名又は特定の仮名で他人と安全に交流することを自然の術として身につけるための教育が必要である。具体的には、ブログやSNSの仕組みを学校に導入することを提案する。学校の中でセキュアなネットワークを整備した上で、児童・生徒が自らのアカウントを持ち、実名でブログやSNSを用いて他の児童・生徒と交流することでネットワークへの親近感を養うとともに、ネット上での誹謗中傷やプライバシー侵害等に対する実地的な安全の守り方も同時並行的に学ぶことが重要である。

2005年6月総務省「情報フロンティア研究会報告書」より
http://www.soumu.go.jp/s-news/2005/pdf/050628_7_02.pdf

いわゆる「ネットは実名制になるのか?」と読み取られてしまった報告書である。が、この頃は実名vs匿名という対立と、「特定の仮名」という表現が混在しているようだ。

発信者の匿名性に関する対応
 発信者の匿名性への制度的対応については、 電子掲示板の管理者等による自主的な取組によっては違法・有害情報への対応が十分になされず、その原因が発信者の匿名性の存在にあると認められる場合に、真に問題となっている匿名性の種類を見極めた上で、技術的な対応可能性や実効性、 匿名での表現の自由、通信の秘密との関係等を十分に考慮に入れつつ、慎重に対応を検討することが適当である。

2006年9月総務省ユビキタスネット社会の制度問題検討会」報告書より
http://www.soumu.go.jp/s-news/2006/pdf/060905_5.pdf

ここで「匿名性の種類」を見極めろという表現が登場する。技術的な対応可能性や実効性についても言及。
そして本年3月、こんな報告書が出てきている。

匿名性と言われる場合には、いま一つ、現実社会から、行為者は誰かという観点から、だれが行為者であるか追求することの困難性が高い場合のこともある。これは、現実社会からその行為者にどれだけリンクもしくは追跡できるかという問題であり、匿名性(unlinkable)の問題(もしくは、追跡可能性の問題)ということができるであろう

2008年3月総務省 情報通信政策研究所「インターネットと匿名性」より
http://www.soumu.go.jp/iicp/chousakenkyu/data/research/survey/telecom/2008/2008-1-01.pdf

Linkability/Unlinkability(リンク可能性・不能性)。これについてはPfitzmannの"anon terminology"を参考にして、私も別ブログで整理してきたが、こうした構造的な理解が一歩進んだと考えられるだろう。